【まだ「世間の目」で消耗してるの?】自らが作り上げた「嫌悪の目の集合体」という想像の産物に悩まされていないか?

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ある時、はたと、自分が常に無意識のうちに「他人」の目を気にしていることに気づいた。

また、その「他人」が、自分に対し「嫌悪感」を抱いているだろうと思われる具体的な他人達で構成されていることにも気づいた。

わたしの場合その「他人」がいつもそばにいるわけではない。多くはたまにしか会わない人、もしくは、一生会うことのないであろう人たちだ。

しかし、わたしの日常生活の中で、彼らの顔が、ポッ、ポッ、ポッ、と頭の後ろあたりにランダムに浮かんでくる。

そのことに、はたと気づいたのだ。

本屋の書架の前に立ちタイトルを眺めている時。

犬の散歩に出かけ、沈む夕日を眺めている時。

寝床につき、天井を眺めながら、その日を振り返っている時。

ふと、わたしを嫌悪している(と想う)他人の顔が、自分の頭の右後ろのちょっと上あたりに浮かぶ。

そして、心がざわつく。(一瞬のことなので、なぜ、心がざわつくのか長い間気づかなかった)

これが、いわゆる「世間の目」なのだろうか?

私たちを苦しめる想像上の「怪物」なのだろうか?

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「セケンノメ」という怪物

想像上(伝説)の動物に夢を食らう「獏(バク)」がいるが「セケンノメ」という化け物は私たちの精神を食らい、その心を消耗させる。

「自分を嫌悪をしていると思われる人々の集合体」という想像の産物で構成され、わたしを惑わしていた「セケンノメ」はなかなか厄介な化け物だ。

わたし自身を振り返るときに、もともと、「自分は嫌われている」との思いが強いこともあって、「セケンノメ」という怪物に取り憑かれ安かったのだろう。

「嫌われている」とのこびりつく思いは過去に経験した「うつ」や現在小康状態の「躁うつ」などの後遺症だったり、症状だったりするのか?

それとも、気質としてそのような傾向があるので「うつ」や「躁うつ」になったのか。

それはともかく

別に自分を嫌う人が今この場にいないのに、また、その人が自分を嫌っていたところで、実生活にはなにも影響がないのに、その人たちの冷ややかな目を勝手に想像して、自らを不快な思いにさせるなんてバカらしい。

もし、わたしと同じように、なんだか分からないけど、心がざわつく。

不安や恐れにとらわれてしまう。

ということで悩まされている人がいるなら、もしかするとそれは「セケンノメ」という想像上の怪物を自らが生み出し、それにたっぷりと栄養を与えて、育ててしまっていることに原因があるかもしれない。

怪物「セケンノメ」を退治しよう

「セケンノメ」という化け物の呪縛から逃れるために一番大切なことは、自分が「セケンノメ」という化け物に惑わされていると気づくこと。

「セケンノメ」という怪物の影響下でできあがってしまった思考回路や思考習慣から抜け出すことは決して容易ではないが、必ず抜け出せる。

そして

「人にどう思われるかではなく、自分が人をどう思うかに焦点を当てる」

ことを心がける。

他にも

「有益なこと、建設的なことに夢中になり、余計なことを考えない」

というのもいいかもしれない。

などなど、「セケンノメ」という想像上の怪物を消滅させることにつながるアイデアは考えればイロイロとあるはずだ。

そして、いい意味で

「何も気にしない」

という境地に達すれば、今までに味わったことのない自由を手にすることができるだろう。

とりあえず、私たちが、心を騒がせたり、落ちこんだり、心配したりすればするほど、「セケンノメ」はたくさんの栄養を摂取してしまう。

そのことは忘れないようにしたい。

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