「武器としての書く技術」(イケダハヤト著)を再読して、すごく励まされたので感想を書いてみた。

keyboard-621832_960_720

武器としての書く技術」は一昨年、いろんな文章に関する書籍をまとめて読んでる中の1冊として、サラッと読んだだけ。

その時はブログもなんとなくやっていたこともあってか、それほど記憶に残らなかった。

今年から、ブログに本格的に取り組むようになり、参考にちょっと再読してみるとかと、軽い気持ちで読みはじめたのだが、

今回は前回と異なり、教えられたり、励まされたりすることが多々あり、驚いている。

それで、印象に残った言葉とその感想を簡単に書いてみようと思う。

広告

人の顔色は見るな

本心を語った結果として批判を浴びたり 、嫌われたりすることは 、なんら恥ずべきことはありません 。むしろ恥ずべきは 、自分の言いたいことをしまいこみ 、他人に気に入られようと媚びへつらいながら生きることです 。

本当にそのとおり。

私はイケハヤさんのことを好きになったり、嫌いになったり、嫌いになったり、好きになったり(現在ココ)しているが、氏の自分を貫く姿勢は変わらず尊敬している。

特に上記の言葉は今の自分にとって、もっとも必要な言葉として受け止めることができた。

わたし自身、今年からブログ(このブログではないが)で自分の思いや考えを、包み隠すこと無く発信している。

そこでは、顔出しでの情報発信。

結果、リアルの世界において、わたしを嫌う人が多数出てきた。

多くの人に嫌われることは慣れてないので、なかなかのストレス。

しかし、これからも、人の顔色など気にせず、自分が正しいと信じたことをどんどん発信していきたい。

それでも、変わらず私との関係を保ってくれる人、また関係を作ってくれる人こそ、これから真の人間関係を構築できる人たちだと思う。

少数派であることを恥じるな、むしろ誇りに思え

「自分が好きなことがとてもニッチだ … … 」というのは 、心配するどころか 、むしろ喜ばしいことです 。(中略)あなたは世界の穴を埋める 、貴重なプレ ーヤ ーなのです 。

若かりし頃は気づかなかったし、今でもあまり認めたくないが、わたしはややニッチなものに惹かれる傾向にある。

ブラウザはOpera。CMSは以前はNucleus(今はWordPressだが)。マウスポインターはトラックポイントで操作するのが好き、などなど。生活の全般にわたってそんな感じだ。

なんとなく、そんな自分に引け目を感じていたが、そのことが、ブログで情報発信していく上で、有益であることを確認でき、少なからず自信になった。

息をするように書け

優れたもの書きは 、まるで息を吐くように 、文章をしたためることができます 。

最近、芥川賞作家の山下澄人さんも、呼吸するように文章を書くよう心がけていると言われている記事を見た。

山下澄人氏は、そのためのツールとしてiPhoneのメモ帳を利用されてるとのこと。

それを真似たわけではないが、わたしも今年に入ってから、もっぱらiPhoneのメモ帳で記事の下書きをしている。

この記事も、夕食後、家族が居間でテレビを見てる横で、ゴロンと横になりながら書いているのだ。

おかげで、最近は、毎日記事を書くことが全然苦ではなくなった。

少しずつ、呼吸をするように文章を書くことが、体感的に分かってきたような気がしている。

とにかくやれ

書けるときに書き 、書けないときには休むという言うのではない 。書けない 、と思うときにも 、机の前に座るのだ 。すると 、ついさっきまで 、今日は一字も書けない 、と思ったはずなのに 、ほんの少し 、行く手が見えるような気がするから不思議である 。

上記の言葉はイケハヤ氏が宇野千代さんの文章を引用されているところ。

ブログ記事に関しては毎日書くことができているが、他の仕事や、家事などに関してはまだイマイチ。

気分がのろうと、のるまいと、とにかく、やりはじめる習慣を身に付けたい。

いつまでも求道者であれ

優れた物書きは 、世の中の割り切れなさに延々と向き合い 、自分なりの答えを見つけつつも 、断定的に語ってしまう自分に違和感を抱き続ける人です 。

わたしの傾向として常に答えを探し続けていることは確か。

上記の言葉などを読むと自分も優れた物書きになれそうな気がしてくるので困る。

でも、いくつになっても夢見ることは良いことだ。

最後の最後まで、夢を見させてもらうことにする。

理解されることを期待するな

本心から語った言葉が批判を浴びたとすれば 、それはむしろ 、喜ばしいことです 。なぜなら 、あなたが語ったその言葉は 、周囲の人々には理解できない 「新しさ 」を持っているということだからです 。

「新しい」ことに多くの人は違和感を覚え、違和感を覚えることに、拒否反応を示す。

それはある意味当然のことだろう。

理解されることを期待しなければ、失望することもない。

ブログに癒やし効果はある

変な話ですが、ぼくは日本国民全員がブログを書くようになれば、日本はもっと平和になり、うつ病にかかる人も減ると考えています。そのくらい、ブログを執筆することには、癒しの効果があるのです。

実はわたしには「躁うつ」の症状があるので、ブログを書くことが精神の安定に繋がることを体感的に経験している。

そのような意味で、稼ぐことができようができまいが、ブログを書くことは続けていきたい。

「和」という宗教に取り憑かれるな

ブログを書く効用のひとつは、「ほとんど無意識的に『和』を演出しようとしてしまう自分の存在」に気づけることです…(略)…「和をもって尊しとなす」のは、「みんなのためを思って」ではなく、「自分が叩かれたくないから」です。そこに気づかねばなりません。

日本人にとって「和をもって尊しとなす」ことは一種の宗教のようになっている側面がある。

それを打ち破ることは口で言うほど簡単ではないが、ブログはそれを助ける良きツールとなってくれるだろう。

戦え!!

ブログを書き、まずは自分が「すぐに賢者の皮をかぶろうとする、へっぴり腰の臆病者」であることに気づきましょう。そして、その臆病と戦い、希薄になった自分を取り戻していきましょう。これこそ、ブログを書く最大の目的です。

うん、戦う(。・ω・。)ワシがんばる。

決意表明

この著書を執筆当時、イケハヤ氏は26歳。

今のわたしよりも、一回り以上も年下(当時)の氏の文章にこんなにも励まされるとは。

年齢や性別や学歴なども関係ないのがまた文章の魅力でもある。

あと、わたしは下書きを溜めこむ傾向にあるので、どんどん書き上げて、どんどん発表することにした。

そのためにも、もう少し記事を書くスピードを速めていきたい。

しかも、記事の質を落とすことなく、むしろ高めつつ。

目下の課題である。

たぶん、わたしはこれからもイケダハヤト氏を好きになったり、嫌いになったり、嫌いになったり、好きになったりすると思う。

そのたびに、ツイッターをフォローしたり、解除したり、またフォローしたりすると思う。

また、わたし自身、嫌われたり、嫌われたり、好きになられたり、また嫌われたりという人生になると思うが、後悔はしたくないので、そのような人生をこれからも選択し続ける。

それはそれとして

武器としての書く技術」は、これからブログを自己表現の場として考えている人、ブログで収入を得たいと思っている人なら、一読して損はない。

さらには実際にブログを書き始めてしばらくして、再読してみると、また、きっと様々な気づきを得られるはず。

文章力を高めるのに、遅すぎること、早すぎることもない。

ブログを書くことに、メリットこそあれ、デメリットは見当たらない。

良質なブログを量産できるよう、日々、楽しみつつ、研鑚をかさねていこう。

広告

シェアする

広告