普通の「キリスト教」には見られない「エホバの証人」に見られる3つの特徴。

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エホバの証人(ものみの塔冊子協会)」という宗教団体は多くの方に知られていると思う。

二人組で家々を訪問して、布教活動に勤しむ、熱心なグループだ。

彼らに個人的に接してみると、とても真面目で優しく好感が持てる方も多い。

しかし、クリスチャンである私としては、ちょっと困る点もなきにしもあらず。

というのも

エホバの証人の方々も自分たちのことを「クリスチャンです」と言われる。

しかし、それは一般的な「キリスト教」とはだいぶ異なる

だから「エホバの証人」が普通の(主流の)キリスト教であると思われると、イロイロと誤解が生じてしまうのだ。

と言っても、外見でその人が、エホバの証人なのか?それとも伝統的キリスト教のクリスチャンなのか?は分からない。

それを知るために、一番、てっとり早い方法。

それは「エホバの証人の方ですか?」と聞くことだ。笑

と言ってしまっては身も蓋もないので、見分けるための簡単な方法を伝授しよう。

次の質問なり、声かけをすれば、それに対する相手の反応で、大体の判断がつくはずだ。

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一緒に献血に行きませんか?

エホバの証人は聖書の教えに反するということで輸血を拒否する。

一昔前に日本においてエホバの証人を一躍有名にしたのもこの「輸血拒否」だ。

輸血は拒否するけれども、献血は行くよ、なんてことは、もちろんない。

輸血拒否の根拠となる聖書の教えは「血を食べてはならない」というもの。

しかし、主流派のクリスチャンからすると、それは聖書の教えの誤った解釈であり、それを「輸血拒否」の根拠するのは不適切であると考える。

それに、「血を食べてはならない」という教えを厳格に守ろうと思うなら、正統的ユダヤ教の信徒が食べるような完全な血抜きをしている「コシェル」という特別な食物を食べなければならない。

「輸血拒否」をするならば、そこまでするべきだろうが、実際のところは、そこまではしていない。

ということで「献血に一緒に行きませんか?」と行った時に、相手がクリスチャンという理由で、それを断ったら、ほぼ間違いなく、その方はエホバの証人である。

とか、なんとか言いながら私も「献血」をしたことがない。

建前はアレルギーの薬を定期的に服薬していることにあるが(それも事実なのだが)、実は血を抜かれるのが怖いだけ。笑

誕生日パーティーをしましょうよ!

エホバの証人は誕生日を祝わない

その理由は誕生日を祝う習慣が異教の習慣から来たものである、と考えるからだ。

(これは聖書に基づいた教えではない)

聖書には使徒たちが誕生日を祝った記録はないから、という理由もあるらしい。

とするならば、他にもできないことはたくさんあるはずだ。

エホバの証人の論法に従うなら、聖書にはイエス様が「笑った」とか使徒たちが「笑った」とか記録されていないから「笑ってはいけない」となるのではないか?

それはそれとして、誕生日を祝う習慣は異教的という見解を持っているので、イエスの誕生を記念する日である「クリスマス」もエホバの証人の方たちは祝わない

(※12月25日が元々ローマの太陽神の祭りだったと言う理由もある)

きょうび、お寺さんでもクリスマスを祝うのに(それもどうかと思うが)、クリスチャンを標榜する「エホバの証人」がクリスマスを祝わないなんて、と違和感を覚えるかもしれないが、そういった理由で祝わないのである。

実は我が家もあまり誕生日を祝う習慣がない。

しかし、それは宗教的な理由ではなく、ただたんに祝うのも祝われるのも面倒なだけ。笑

何か、格闘技されてます?

「エホバの証人」は徹底した「平和主義」である。

それが高じて、格闘技全般が禁じられている

だから、体育の授業で「柔道」や「剣道」が組み入れられる際は、エホバの証人の子どもたちは、その授業は受けない。

「平和主義」はとても素晴らしいことだが、やはり、ここでも行き過ぎな感じはする。

確かに聖書は「争ってはいけない」と教える。

しかし、時にはその争いを収めるために最終手段としての「格闘」が必要な場合もある。

そのために警察官などは「格闘術」学ぶわけだ。

また、自身の身を守るために護身術があるが、それもまた「格闘術」になる。

聖書の「教え」はそのようなところまでを否定してはいない。

「何か格闘技されてます?」と問うた時、

相手の方が、格闘技に対する嫌悪感を示す場合は、エホバの証人である率が高い。

しかし、この質問は、明らかに何もしてないよね?

という感じの、たとえばヒョロヒョロな感じの人にするとかなり違和感があるので、注意されたし。

ちなみに、私は子供の頃は空手をしており、高校の授業では柔道が楽しみで、今は大相撲観戦が趣味である。

エホバの証人の方は「相撲観戦」もできないらしい(・。・;

エホバの証人とキリストの証人(クリスチャン)の根本的な違い

以上、エホバの証人と主流派のキリスト教の異なる点で、比較的分かりやすい部分について、記してみた。

これはあくまでもプロテスタント教会に属する一クリスチャンの視点。

ゆえに「エホバの証人」の教えに対する否定的雰囲気が醸し出されていることは否めない。

その点、ご留意のほど。

ご覧になっていただいたようにクリスチャンとエホバの証人の方との「聖書の教え」の解釈の違いが、表面上の違いに大きく現れる。

ただ、今回、紹介した違いは聖書の教えの根幹に関わる違いではない。

実際は「エホバの証人」と主流の「キリスト教」の根本的違いは主要「教理」の違いにある。

カトリックは一枚岩だが、プロテスタントには様々な教派がある。

その教派間で細かい点において異な教理を持つが、主要「教理」においては一致している。

だから、多少、表面上の違いがあっても同じキリスト教として認め合うことができる。

しかし、エホバの証人をはじめとして「異端」とみなされるグループ(主流のキリスト教から)はその主要教理において異なる考えを持つ。

そのために、たとえ表面上は似ていても、主流の教会は「エホバの証人」をキリスト教と認めることはできない。

たとえば、伝統的キリスト教では、イエス・キリストは「神」であるとみなしている。

しかし、「エホバの証人」の教えではイエスは「御使いにしか過ぎない。

神によって造られた最初の「被造物」。

それがイエスなのだ。

他にも、キリスト教の主流派は「地獄」の存在を認めるが、エホバの証人はそれを認めない、などなど、根本的な教理においての違いがある。

(※エホバの証人の教えはそもそも、その創始者が「地獄」を想定することが怖過ぎて、それを否定することから始まったと言われている)

他にも本質に関わる様々な違いがあるが、「教理」の違いでエホバの証人と、主流のキリスト教を見分わけることは一般の人には難しい。

というよりも「教理」の違いなんて、どうでもいい、というのが一般の見解かもしれない。

ということで、とりあえずは、上記の3つの特徴を知っていただければ、クリスチャンとエホバの証人の違いは分かるので、参考にしていただければ幸いである。

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