なぜ私は創造主(神)の存在を信じるのか?

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私はクリスチャンホームに生まれ育ったが、盲目的に創造主(神)の存在を信じたわけではない。

思春期にはキリスト教に懐疑的になった。

自分なりに様々な哲学書や思想や宗教に触れた。

熟考した。

死ぬほど悩んだ。

そのような過程を経て、最終的に私は創造主(神)の存在を信じた。

私がなぜ創造主を信じるのか?その理由を述べる前に聖書が教える神について簡単に説明したい。

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聖書が教える神とは?

多くの日本人が持っている「神」に対するイメージと、敬虔なクリスチャンの持つ「神」のイメージの間には大きな隔たりがある。

日本ではすぐになんでも「神」と呼びたがる風潮がなきにしもあらず。

「神ってる」なんて表現が流行語になったこともある。

そこには「とてつもない」というニュアンスは含まれているかもしれない。

とてつもなく野球が上手い人を「野球の神様」と敬意を払う。

信じられないぐらい見事な執刀をする医師に「神の手」との賛辞を送る。

菅原道真などの偉人は死んで後「神」として崇められることもある。

しかし、それは聖書の教える「神」の「とてつもなさ」とは次元が全く異なる。

その次元の違いは聖書の一番最初の言葉に凝縮されている。

「初めに神が天と地を創造した」(創世記1章1節)

聖書によると「神」と呼ぶに相応しいのは天地万物の創造者のみ。

それは「無」から「有」を呼び出すことができる存在。

なんでも知ってるし、なんでもできる(全知全能)存在。

天と地に満ちる(普遍)ただひとり(唯一)の人格的存在。

それが聖書の啓示する神である。

(※神に関する説明はまだまだあるが、とりあえずこれだけにしておく)

なぜ私は創造主(神)の存在を信じるか?

私が創造主(神)を信じる理由。

その理由は至極簡単である。

創造主の存在を想定するほうが合理的であり、科学的だからだ。

(もちろん、それだけが理由ではないが)

日本で「創造主(神)を信じる」というと、それは非合理的、非科学的だと決めつける人が多い。

しかし、ちょっと考えれば、その考えは実に短絡的であることが分かる。

たとえば、私たち人間のことを考えて欲しい。

人間が自分たちの力で、人間を作ることができるだろうか?

「子どもを作る」なんて表現はするが、実際に手作りで子どもを組み立てているわけではない。

人間は精巧なロボットを作ることができる。

しかし、人間と全く同じようなロボットを作ることはできない。

最高の知能と技術を結集して今現在人間に最も近いロボットを作ったとしても、それは実際の人間には程遠い。

人工知能がプロ棋士に勝ったりすると、それだけで人工知能が人間の知能に限りなく近づいたと勘違いする人もいるが、総合的にみると、それもまた人間の知能にはほど遠い。

ゲノム編集技術でより簡単に遺伝子操作ができるようになり、人間は神の領域に入ったという人もいる。

果たして本当にそうだろうか?

「精子」と「卵子」が結合し「受精卵」となり、そこから細胞分裂を繰り返して成長するのと全く同じようなロボットを人間が作れるようになったら人間は神の域に入ったと言えるだろう。

それも「無」から、それらのシステムを構築することができたら。

しかし、それは不可能なことだということはこの文章を読んでいる人なら誰でも分かるだろう。

この事実は何を意味しているかというと「人間」の存在は人間が真似することができないような知識と技術の結晶であるということだ。

人間の体の仕組みの中には、人間の知性を凌駕した「技術(テクノロジー)」がある。

そこに人間の知性を凌駕した存在を想定するのは不自然なことではない。

聖書は二千年前からそのことを私たちに明らかにしていた。

神の目に見えない本性(ほんせい)、すなわち、神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1:20)

科学者でなかったとしても、少し考えれば、この世界が偶然に存在しているのではなく、創造主によって存在させられていることが分かる。

自然界をとおして表されている人間を凌駕した「知性」の背後に創造主を見出すことができないとするなら、それは論理的に神を認めたくないのではなく、感情的に神の存在を認めたくないだけである。

悪者は高慢を顔に表わして、神を尋ね求めない。その思いは「神はいない」の一言に尽きる。(詩篇10:4)

愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はない。(詩篇14:1)

もし、まだあなたが創造主を知らないなら、是非、これを機会に創造主を求める人生を歩んでいただきたい。

存在の意味と目的がある世界の中に生きていただきたい。

それが一クリスチャンである私の心からの願いである。

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