どのようにして「うつ」の期間をやり過ごすか?~できることを、できる時に~

「うつ」をやり過ごすための工夫

絶賛「うつ」まっさかりの。

久しぶりにここ2~3日「希死念慮」に悩まされている。

そんな状況に陥った時は、聖書を読んだり、祈ったりすることで回復することも。

でも、時には聖書を読んだりすることも、祈ったりすることもできないこともある。

そんな時は楽しい動画なんかを見て、気を紛らわしつつ「嵐」が過ぎるのを待つ。

それも「うつ」の時期をやり過ごすための一つの手だ。

超真面目なクリスチャンはそんな解決法は不信仰だと言うかもしれない。笑

私もすごく真面目なクリスチャンだった(今でも真面目なほうだが・・・)。

でも、最近ではあまり四角四面には考えないようにはなった。

聖書を読めないときもあるさ。

祈れない時もあるさ。

でも、ず~っとじゃない。

たまには他のことで気を紛らわしてもいいんじゃない?って。

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「米ドラマ」を見てやり過ごす

ということで、今日は「うつ」の嵐の吹き荒れる中、グッタリとしながら「グレイズ・アナトミー(シーズン2)」を見ていた。

最近、米ドラマを見ていないなと思ってAmazonビデオでなんとなく見始めたドラマだ。

医療ドラマなので、全編「生と死」などの重いテーマは流れている。

しかし、恋愛模様も織り交ぜつつのポップな物語になっているで見やすい。

出演している俳優陣も魅力的な人ばかりであることも、その理由かもしれない。

ただ、いつの頃からか米ドラマにありがちなことだが、すぐに性的なことを絡めたがる。

そこらへんが、クリスチャン的にはちょっと残念だ。

まあ、そんなに露骨な表現がないのがせめてもの救いかな。

別にそんなに無理やり性的なことを絡めなくてもいいのに。

それはそれとして

本日は12話「クリスマスのユウウツ」と13話「新たなスタート」を見た。

その中で、心に響いた言葉があったので紹介する。

私にはできる

出産を間近に控える、やり手の黒人女性医師ベイリー。

彼女は身重でありながらも、飄々(ひょうひょうと)と仕事(外科手術)をこなしていた。

ある時、ベイリー医師の出張に同行したヤン医師。

彼女は女性医師として仕事か子どもかで鬱々とした時期があった。

そんな彼女がベイリー医師も妊娠時に仕事を取るか出産を取るかを悩んでいたことを聞き驚く。

それで、どうして子どもを産む決断をしたのか?とベイリー医師に尋ねるのだ。

ベイリー医師は答えた。

I knew I could do this.

私にはできる はっきり そう感じたの

Now still I don’ t know how gonna do this

方法なんて分からない

But I know I can do it.

でもやれる

It just have to know.

そう思うだけ

and when you don’t know then no one can fault you for it.

思えなくても誰も責めたりしない

You do what you can, when you can.

やれることを やれる時にやる

while you can.

やれる間にね

It were you can’t, you can’t.

ダメな時はダメなんだから。

(※日本語は字幕そのままに、英語のほうは聞こえてきた英語をなんとなく書いてるだけだなので、英語のほうは信用しないでね。)

どうしていいか分からなくてもいい。とにかく、今、自分ができることを、できる時に、できる間にやる。失敗したっていいじゃない!ということだよね。

よし、僕も頑張ろうと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけど体に力が入った。

正直、ここ2~3日、座っているのもキツくて、ブログ更新もままならなかったが、上記の言葉に励まされ、自分にできることを、と考えた。

結果、そうだ、それこそ、今、自分が励まされたベイリー医師の言葉を紹介しようと。

たかがドラマの中のセリフ。

でも、その中の一言が人生を変えることだってある。

事実、今、私は4日ぶりにブログを更新することができている。

これは自分にとって大きな一歩だ。

根拠のない自信&小さな1歩

今置かれている状況は人それぞれだと思う。

何していいか分からないという人もあろうと思う。

でも、とりあえず「私はできる」という根拠のない自信を持つことからはじめるのもいい。

実際、何もできないわけじゃない。

何かできることはあるはず。

とにかく、それをやってみる。

もし、そう思えなかったとしても、そして、何もできなかったとしても、自分を責めないことも大切。

「誰もあなたを責めたりしない」とベイリー医師は言った。

HSPの場合、誰が自分を責めなくとも、自分で自分を絶え間なく責めている場合が多い。

それは傾向としてあるものだから、気をつけないといけない。

もしかするとその傾向の延長線上に「希死念慮」があるのかもしれない。

だから、そんな時は何か楽しいものを見たり聞いたりして気を紛らわすことも必要だろう。

で、ある程度気分が上がってきたら、自分ができることをちょっとだけでもいいからしてみる。

自分を楽しませることに罪悪感を覚える必要はない。

(無論、法律に触れることや、道徳的にもとることでなければの話だが)

今日というこの日を楽しむことは神も許してくださっている。

これは主が設けられた日である。

この日を楽しみ喜ぼう。

詩篇118篇24節

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