思考を深めるためのツールとしてのブログ


不惑の四十」なんていうが、四十を過ぎても、私は惑ってばかり。

子供の頃は四十歳にもなれば人格的にも社会的にも立派な人間になっているものだろうと思っていた。

しかし、現実は外身ばかり老けて、中身はスカスカのままだ。

迷いに迷い続け、そして「今」もなお迷っている現実に自分でも戸惑っている。

そして、外身も中身も立派な同世代や、それよりも、ずっと若い人たちを見て、落ち込むこともしばしば。

イチロー選手、貴乃花親方、マツコデラックス…笑

まあ、彼らと比べてしまったら、この世のほとんどの四十代は霞んでしまうだろうが…

何かとりえがあるわけではない。

やる気もない。

当然、人望もなければ、金もない。

もちろん、このままでいいとは思わない。

しかし、現状としては、漫然と日を過ごしているというのが正直なところ。

このままなんとなく年を取り続け、なんとなく死んでしまいそう。

そんなことを考えて、漠然とした恐れを抱いている哀れな中年男だ。

クリスチャンなので「死後」に関する恐れはない。

ただ、このまま、残された人生をなんとなく過ごしてしまうのは避けたいとは思っている。

余命宣告をされているわけでもなく、現時点で何か深刻な病を患っているわけでもない。

しかし、人生が、あと残り僅かであることはヒシヒシと感じる。

同じく四十代に入っている人の多くがそんなふうに思っているのではないだろうか?

たとえ120歳まで生きられると保証され、あと80年近く生きられたとしても、月日はあっという間に過ぎ去ってしまう。

残された時間を有効に使いたい。

そのためにも、もっと生活と思考をシンプルにしたい。

人がどう思おうと、自分自身が本当に価値を見いだすことの出来ることに時間と労力を割きたい。

自分の胸に手をおいて考えてみた。

自分が1番意義と意味を感じることはなんだろう?

私が好きなことはなんだろう?

しばらく考えて出た答えは「考えること」だ。

私はすぐに「考えごと」をしてしまう。

特に「人生について、いろいろと思いを巡らすこと」ことが多い。

カッコよく言えば

「真理を探り求めること」

それが私が1番意義を感じることだ。

改めて気づいたことだが、正直、その他のことはどうでもいいと思っている。

「聖書」の勉強をライフワークにとは前々から思っているので「聖書」を学びつつ、人生の意義や意味について、さらに深く「考える」生活を送りたい。

生活のこともあるので「稼ぎ」につながるようなことが、自分のしたいことであって欲しかったが、残念ながら、私の興味はまったく、そちらのほうには向かない。

そちらのほうは、妻に任せるとしよう。笑

実際すでに生計を立てるための仕事の7割以上は、すでに妻に委ねてしまっている。

なんとも無責任な夫だろう。

本当にすまん。

ブログは今までこれいったスタイルもキャラも定まっていなかったが、これからは「いろいろ自分の考えたことを」ツラツラと書きつらねるスタイルにしよう。

収益のことを考えると、そんな書き方ではダメなんだろうが、稼ぐことを考えながら文章を書いていると、どんどん気が滅入ってくる。

残念ながら、どうやら「稼ぎ」を考えつつのブログ運営は私の精神衛生上、よろしくないようだ。

これからは、そんなことはいっさい考えないでブログを運営しようと思っている。

私のことだから、すぐに気が変わるかもしれないが、それはそれで、ブログネタになる。

そんなふうに私はこれからも一生迷い続けるだろうから、その「迷い」をそのままブログに記録していこうと思う。

そして、10年後、20年後の自分が過去の自分と対峙し、真理に対する理解が深まっているかどうか、その中で得た「悟り」や「気づき」を日常生活に生かせているかどうか、そんなことを反芻する場としてブログが生かせればいい。

私にとって「ブログ」は「考え」を深めるためのツールになりそうだ。

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