トイレットペーパーの三角折りはダメなんだってよ。

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長年、自分が正しいと信じてやってきたことが否定されるのは気持ちのいいものではない。

たとえば、私は最近、下記URLの記事で長年の自分の「正しさ」を否定された。

記事によると「トイレットペーパーの三角折り」は衛生的に問題があるらしい。

「三角折り」大好きなアラフォーおっさんに、この事実はとても大きな衝撃を与えた。

言われてみればそうだが、自分が正しいと信じて、良かれと思ってやってきたこと。

否定されるのは面白くない。

そんなこと言っても、トイレットペーパーだけでなく、トイレのタンクのレバーとかドアノブとか、用を済ませた後に触るわけだから、ペーパーの三角折りごときでごたごた言わんでもいいんじゃない?

人がベタベタ触った後のペーパーを触りたくないんだったら、レバーもノブも触ってはダメだよ?

結局、その後、石鹸で手を洗うでしょ?

だったら、見た目も、使いやすさもいい「三角折り」でいいんじゃない?

と反論したくなる。

ただガサツなだけで、使い終わったトイレットペーパーをぐちゃぐちゃなままにしている人たちが、これ見よがしに、三角折り派をバカにするのか?

そんなことを思うと

「悔しいです!」

と顔面をぐちゃぐちゃにしたくなる。

ふと、三角折り全否定記事を嬉々として伝えてくれた妻の勝ち誇った顔が脳裏をよぎる。

「悔しいです!(*´ω`*)」

そうかあ、これからは三角折りをした後のスッキリ感も味わえないのかあ。

見た目の綺麗さから来るスッキリ感だけではなく、後の人のための配慮をした、すなわち、ぷち良いことをしたという自己満足からくるスッキリ感。

「三角折り」にはそんな魅力もあったのに・・・

しかし、今後はそのようなスッキリ感を味わえないどころか、トイレに入るたびに、三角折りが出来ないモヤモヤ感、それに伴う、今までの人生を否定された感を味わわなければならない。

トイレは私にとって色々な意味でのスッキリスポットだったのに、これからはモヤモヤ感を伴うスポットに変容してしまうとは・・・

なんともやりきれない。

三角折りごときで、モヤッとしているなんて、情けない話だが、これが、主義主張や思想信条となるとどうだろう。

たとえば、共産主義こそが、世界で一番正しい国のあり方だ!と教えられ、それを信じて生きてきた人たちが、急にその世界が崩れ去ってしまい、自分たちの生き方を否定されたら、そのショックははかりしれない。

実際、そんな経験をしている人たちが世界を見渡せばたくさんいる。

私の場合であれば、人生の指針となる「キリスト教」が全否定されたようなものだろう。

そうなると、これは「生きる」こと自体が困難になるほどの問題になる。

ん?トイレットペーパーの三角折りの話からだいぶ話が飛躍した。

とにかくだ、自分が正しいと信じていても、そうではないことはたくさんある。

正しいと思っていることを実践することは悪いことではないが、人間のすることには間違いはある。

間違いがはっきりした時には、すぐにその間違いを正すことを忘れないようにしたい。

悔しいが、今後の人生においてトイレットペーパーを三角折りにすることは辞めたい。

しかし、それを実践するならば、トイレタンクのレバーやドアノブに関しても配慮をせねばなるまい。

三角折りは不衛生だと言いつつも、レバーやノブをベタベタ触っていたのでは意味がない。

私はその覚悟を持って「三角折り派」を離脱する。

さあ、にわか「反三角折り派」よ。

おまいらに、それぐらいの覚悟はあるのか?その覚悟をしておまいらは三角折り派を否定しているのか?

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