本当に好きなことは意外に分かっていないのかもしれない


四十をちょっと過ぎて自分が本質的に好きなことが、やっと分かった。

それは「読むこと」「調べること」そして「考えること」。

その中で最も大事だと思うのは「考えること」

これに気付くまでに、かなりの時間がかかった。

もともと、物事を理解するのに時間がかかるタイプではある。

それにしても自分が好きなことに気づくだけで、40年以上かかるなんて。笑

自分でも、吃驚だ。

言い訳をさせてもらえるならば、自分にとっての「好きなこと」が、あまりにも抽象的過ぎた。

何をしているときが一番楽しいですか?と聞かれ、そうですねぇ、イロイロ考えてる時ですかねぇ。

なんて姿は自分の理想とは違った。

それを認めたくないという思いが、本当の「好き」の発見を遅らせたのかもしれない。

もちろん、具体的な「好き」がないでわけではない。

自然の中を散策すること。

愛猫と戯れること。

大相撲を観戦すること。

その他にも「好き」はある。

どれも「稼ぎ」につながりそうなテーマではないのが残念なところ。笑

とはいえ、とりあえずはブログを書き続けるテーマにはなる。

しかし、それをブログに落とし込もうとすると、どうも筆が進まない。

なぜだろう?不思議に思いつつも、それなりに駄文を書き続けてきた。

そして、ある時、ふと気づいた。

あ、私の「好き」はイロイロと「考えること」か…

私はすぐに「考えごと」をしてしまう。

どうしてなんだろう?

なぜなんだろう?

どんな意味があるんだろう?

何の目的があるんだろう?

内容は形而上的なりがち。

子供の時からずっーとそうだった。

「考え事」をすることは私にとって呼吸するのと同じこと。

意識すらしていない。

でも、実はそれこそが、私が本質的に好きなことなんだなと。

そのことに気付かされた。

私たちにとっての本当の「好き」は、そんなものなのかもしれない。

「好き」とか「嫌い」という次元を超えてしまっている何か。

自然と、そうしてしまう何か。

もちろん、本能的な欲求に従っての何か、とか、悪習慣から来るところの何かとは一線を画する。

「好き」な異性といえば、その人を見ると「胸がキュン」とする人を想像するかもしない。

しかし、実際のところは、その人といると「ありのままの素直な自分でいれる」という異性が本当に「好き」な人かもしれない。

なんてことを、今日もイロイロと思いを巡らしているのである。

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