役に立たないような記事でも、役に立つかもしれない。だから、書き続ける。


ブログを始めたことでイロイロ自分自身について分かったことがある。

私の頭の中が思った以上にごちゃごちゃしていることも、ブログを始めて分かったことの一つ。

これでは人生の焦点が合うはずもない。

やりたいことや、興味のあることが多すぎて、何から手をつけるべきか分からなくなっている状態になっている。

私はこれまで、ず〜っと、そんな感じだったような気がする。

しかし、できる人は違う。

人生の早い段階で、自分のすべきことを絞り、そこに全力を注いでいる。

イチロー選手などはその最たる例であろう。

もともと能力がある上に、1点にその力を集約する人は、当たり前のように抜きん出る。

私の場合は能力があるわけでもなし、抜きん出る必要もないが、残された人生で、それなりの成果を出したい。

このままでは後悔しか残らない。

そのためにも、遅ればせながらではあるが、何に力を注いでいくべきかを絞らなければならない。

まず、これからの人生でやり続けたいことは「ブログ運営」だ。

これはライフワークにしようと思っている。

少なくとも、あと20年。

還暦過ぎまではブログ運営を続けたい。

それぐらい続けたら、もしかすると年金分ぐらいは稼げるようになってるかもしれない。

もし、そうでなかったとしても、毎日のように文章を書いていけば、多少なりとも文章力は向上するだろうし、思考も深まるだろう。

もし、文章も上手くならず、思考が深まらなかったとしても、認知症防止効果ぐらいは期待できるのではないだろうか?

残念ながら認知予防効果もなく、普通に認知症になったとしても、こうして文章を残すことによって、「私」という人間が存在したという証にはなる。

それがなんだ?ということになるかもしれないが、私が生きた「証」が時には誰かの励ましや慰めになる可能性もなきにしもあらず。

小林麻央さんの闘病中のブログは麻央さんが亡くなったあとも、多くの人を慰め続けることだろう。

あの方は有名な方だから、そういうこともあるだろうが、名もない一般人のブログにはそんな力はないないでしょ?と思う人もいるだろう。

しかし、私自身は名も知らぬ若い男性の闘病日記に大いに感動し、慰められた経験がある。

ブログに綴られたなんでもない日常の一コマに癒されたこともある。

今、ふと思い出したが、「本せどり」をしている時代は「たそがれ親父」だったか、年配のセドラーさんのブログで多くの励ましと学びを得ていた。

このブログはたそがれさんがお亡くなりになってしばらくして閉鎖したので残念である。

もし、そのまま残してくれていたら、また最初から読み返してみたいブログだった。

ブログに書いたことが、どこの誰にどのように益するか、それは書いた本人にも分からない。

そういった意味でも、書き続けることは自分のためだけでなく、この記事を読んでくれる全ての人のためという意識も大切なのかもしれない。

とは言っても、それを意識しすぎると気軽に書けなくなるので、あまり意識しすぎないことも大事。

そんなことに思いを巡らせつつ、本日、これが7記事目(他ブログ合わせて)の投稿になる。

これは今までの最高記録かもしれない。

もちろん、投稿数が多いからといってアクセスが集まるわけではない。

しかし、いままで自分にはできないと思っていたことが、少しでも、それなりにできるようになることは自信につながる。