テレビを見るのは時間の無駄。人生の浪費。


ついこの前、成人したばかりのような気もするが、ふと気づけば四十を過ぎ、下の子供も巣立って行こうとしている。

次にふと気づいた時は、たぶん還暦ぐらいで孫達を目の前に不思議な気分になっていることだろう。

本当に月日の過ぎるのは早い。人生はきっと私が今思ってるよりもずっと短い。

たとえ百二十歳まで生きたとしても、その年になれば、あっという間だったと思うに違いない。

四十を過ぎた我が身、余計なことに時間を費やしている時間はない。そう痛切に思う今日この頃。

何を余計なことと感じるかは、それぞれの価値観によって異なるだろう。

私にとって、人生の中で一番無駄だと思う時間は「探し物」をしている時間。

それは何かを探求しているという意味ではなく、持ち物の管理が悪くて、メガネがないだの、クルマのキーがないだの、何がどこにあるのか分からなくなっているという意味での「探し物」をすること。

幸い、これに関しては、数年前からモノの置き場をきちんと決めることや、最近のミニマリストを目指す生活の中でモノが減ったことで、探し物に時間を費やすことはほとんど無くなった(と書いてる先にイヤホンどこっけ?となってはいるが。笑)

次に減らすべき時間は何か?と考えた時に、すぐに候補に上がるのはテレビを見る時間。これもなかなかの時間食い虫だ。食後にボーッと見ているとすぐに2時間、3時間と過ぎてしまう。

あの時間でブログが1記事ぐらい書けたのに、部屋の掃除ができたのに、と勿体無く思うが後の祭り。過ぎ去った時間は決して戻ってこない。時間はお金よりも貴重である。

確かに面白い番組やためになる番組もたくさんあるけれども、果たしてそれを見ることによって人として成長できるか、というとそうでもないような気がする。

それよりはむしろ、読書をしたり、また、何かしら、内容は大したことがなかったとしてもブログなどで情報発信をしたほうが、自分の成長につながるのではないだろうか?

もちろん、これはあくまでも私自身の価値観なので、異論は多々あろう。しかし、自分が価値を感じないものに、なんとなく、時間を費やしてしまうのは人生を送る上で損失でしかない。

ということで、これから絶対にテレビを見ないというわけではないが、せいぜい1日1時間程度に留め、残る時間は、自分の成長につながると思われることに費やしたい。

先ほど上げた読書や情報発信もさることながら、ライフワークとしたい「聖書研究」や断食を含む「祈祷」の実践研究にも時間を費やしたいと思っている。

と、ここまで書いて、あれ以前同じようなことを書いたかも?という気がして、過去記事を調べて見たら、書いてた。笑

ま、四十を過ぎればこんなことは多々ある。

ドンマイ!自分!

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