本当に「宗教」が「争い」の原因なのか?「宗教」が無くなれば「戦争」は無くなるのか?


イスラム教徒の男性と交際する娘をキリスト教徒の父親が刺殺するという痛ましい事件がイスラエルであったそうだ。

キリスト教の父親が娘を刺殺、イスラム男性との交際に反対 イスラエル(CNN.co.jp) 
エルサレム(CNN) イスラエル中部の街ラムラに住むキリスト教徒の家庭で、十代の娘がイスラム教徒の男性との交際をとがめられ、父親に刺殺される事件があった。

この事件で、殺されてしまった娘さんは気の毒としかいいようがない。

しかし、このような事件があるとすぐに鬼の首をとったかのように、

これだから宗教はʅ(◞‿◟)ʃ

と、「宗教」そのものを批判する意見がネット上に跋扈することには納得がいかない。

これって本当に宗教の問題だろうか?

たとえば、キリスト教の教えの本質中の本質は「互いに愛し合いなさい」だ。

旧約聖書にある「モーセの十戒」にも「殺してはならない」とハッキリと記されている。

にもかかわらず、自分の娘を殺したとするなら、その行為はキリスト教という「宗教」が動機となっているわけがない。

自分の娘が思い通りにならないことに腹を立て、感情の制御が効かなくなった自称キリスト教徒による蛮行に過ぎないのだ。

ゆえに、この事件は(またこれまで起こってきた、そしてこれからも起こるであろう類似した事件も)本質的なところでは「宗教」には全く関係ない。

「宗教」の本質をキチンと捉えている人は、自らが争いの引き金や火種になることはない。

無宗教が1番だよねと、安直な意見を勝ち誇ったように述べる人もいるが、無宗教を標榜する人間によってひこ起こされる悲惨な事件も多々ある。

聖書によると結局、人間の争いの根本にあるのは「欲望」である。

今回、娘を殺した父親に関していうならば「支配欲」がその動機としてあるのかもしれない。

とにかく人間が自らの欲望を優先して生きる限り、この世界から「戦争」が無くなることはない。

神のみこころである「互いに愛し合いなさい」「平和を保ちなさい」との教えが何よりも優先されない限り、この世界に平和は訪れない。

「宗教」は本来地上の「欲望」との決別のためにあるのに「宗教」を「欲望」を実現するための手段として捉える人々が少なからず存在する。

そのような人々によって様々な問題が引き起こされ「宗教」に対する誤解が助長されることは至極残念な限りである。

しかし、同時に「宗教」から生まれるところの崇高な精神で社会に貢献する人々も多くいることを忘れないで欲しい。

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。(新約聖書 ヤコブの手紙 4章 1節)

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