「ひとり」が好きすぎるのも困りもの。遅ればせながら人間関係を築くことも勉強しよう(・ω・)


息子さん、昼休みに図書館でひとりで過ごしてるみたいですけど、大丈夫でしょうか?

だいぶ前の話だが、息子が中学生の時、当時の担任が心配して家内にそう言ってきたことがある。

きっと息子が昼休みに一緒に過ごす友達がいなくて、仕方がなく図書館でひとり過ごしてると思ったのだろう。

それを聞いて、私は何も思わなかった。笑

なぜなら、中学生時分の私がまさにそうだったから。

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図書館はパラダイスだった

私にとって、図書館で過ごす時間は至福の時。

休み時間を一緒に過ごす友人はいたが、昼休みは友達と遊んだり、しゃべったりしているよりも、本を読んでるほうが楽しかった。

だから息子のことを聞いても、本が好きなだけじゃない?としか思わなかったのだ。

しかし「本」さえあれば、あとは何もいらないという人は相対的に見ると珍しいのかもしれない。

それで、周囲は余計な気を使う。

しかし、心配は無用。

私のような人種は基本的に「ひとり」が大好きなのだ。

だから、ひとりで食べるメシはまずい、なんて言う人の気持ちが全然分からない。

もちろん「ひとりで食べるメシは美味しくないよね?」と言われたら、そうだよね、と相槌は打つ。

しかし、実際のところは全くピンと来ない。

なぜなら、ひとりで食べるメシも全然美味しいからだ。

むしろ、ひとりで食べるほうがイロイロ気を使わなくていいので、より美味しく感じる。

みんなでワイワイ食べるほうが、美味しいというほうが良く分からない。

みんなでワイワイではゆっくり味わえない。

とにかく「ひとり」が好き

「ひとり」で本を読むのが好き。

「ひとり」で食事するのも好き。

「ひとり」で散歩するのも好き。

身近に、ひとりは寂しい、寂しいとボヤいている人がいる。

それを聞くと、つい「ひとり」の何が寂しいのだろう?と思ってしまう。

そして、自分は何か人として欠落があるのか?とモワッとする。笑

でも「寂しい」と思うから「寂しい」のではないだろうか?

「寂しくない」と思えば「寂しくない」のではないだろうか?

そんなことを思ってしまうのだ。

人がひとりでいるのは良くない

だからといって、人とのコミュニケーションを軽視しているわけではない。

コミュニケーションは苦手ではあるが、その大切さは分かっているつもりだ。

聖書は創世記の「人がひとりでいるのは良くない」との神の言葉の大切さも歳を重ねるごとにヒシヒシと感じる。

やはり、人は「人」と「人」の「間」に生きてこそ「人間」として生きることができる。

その点「ひとり」が好きすぎて、これまでの人生で、人間関係を疎かにしてきたことを最近、深く反省している。

ただ、今までが、あまりにも、人との関係を築きあげることに留意して来なかったので、どうやって関係を築きあげればいいの?と言うのが正直なところだ。

しかし、人生の後半戦「今」を逃したら、今後なかなか関係を築き上げるチャンスは訪れないだろう。

「ひとり」の時間を大事にしつつも、「他者」との関わりを持ち、その関係を築き上げるためにはどうすればいいのか?目下の課題。

とにかく人と会う

さて、どこから取り組み始めようか?

誰とどのような関係を築くか?ということをまず考えるべきなんだろうか?

それともキリスト者として「ただ与える」という関係を大事にするべきなんだろうか?

って、こんなことをグダグダ考えてしまうから、人付き合いが面倒になって、結局、ひとりがいいや!ってなってしまってるのかもしれない。笑

やれやれ(´⊙ω⊙`)

とまあ、とりとめのない文章になってしまったな…

ま、でも書かないよりはマシだね。

それはともかく、とりあえず、人と会う機会をできるだけ持つようにしようと思う。

きっと気質上、かなり疲れるだろうけどね。

そこらへん「HSP」と「躁うつ」との兼ね合いがなかなか難しい。

しかし、これからの人生を考えると「今」はそういった意味での変化が必要な時期。

これを逃してはなるまい。

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