死んだらどうなる?毎日考える子ども。一瞬足りとも考えない大人。人間イロイロ、人生イロイロ。


ある中学生の女の子に聖書のことを話す機会があった。

ふたりの女の子を目の前に話しをしたのだが、ひとりは見るからに利発そうな女の子。

もうひとりは見るからに食べることしか興味がなさそうな女の子。

話しをしてても、反応の明暗はハッキリしていた。

利発そうな子は目を輝かせて聞いてる。

食いしん坊は疑わしそうな目で聞いている。

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人は見かけによらない

しかし、話の流れで「死んだらどうなるんだろう」って考えたことはないかい?と質問したら、意外にも食いしん坊が食い気味に答えた。

「あ、私、それ毎日のように考えてる(゚ω゚)」

一方、利発そうな子はピンと来ない様子…

人は見かけによらない。笑

人生について、死について、深く考える子は、私たちが思う以上に早い時期から考えてる。

一方、立派な中年になっても、考えない人は考えないようだ。

すでに二十年以上クリスチャン生活を送っている知人は、入信するまでそんなこと一切考えたことがなかったらしい。

三十代後半に「死」を意識せざるを得ない病気を患い、その時始めて「人生」について真剣に考え始め、それが入信のキッカケになったとのこと。

それまでは勉強や遊び、仕事やギャンブルに忙しくて、そんなことを考える暇がなかったと言っていた。笑

小学生の低学年ぐらいから「人生」について「死」について、常に考えていたタイプの私からすると理解に苦しむが、そんな人も少なくないのだろう。

どちらのタイプのほうが良い、とか、優れているとか、そんなことは思わない。

小さい頃から「人生」について「死」について考えていた割には大した人生を送れてない私なので、何も誇れることはない。

形而上的なことばかり考えたことが、社会生活に支障をきたすような精神状態にしたような気もする。

むしろ、人生について死について、そんなに考えないほうが、精神に異常をきたす可能性は低くのかもしれない。

どちらにしろ、私たちは「死ぬ」。

そして、それまで「人生」を問答無用で最後まで過ごさなければならない。

そう簡単には割り切れない

笑っても人生、泣いても人生。

それなら笑って生きようよ!

ワッハッハ(^◇^)

と割り切れる人はいい。

私も頭では、結局のところ人間にはそれしかないことは分かってる。

しかし、同時にそれでは割り切れないんだよなあ…という思いを常に抱えている。

これでいいのだあ〜(●´ω`●)
と、バカボンのパパばりに何度か、人生、割り切って生きようとしたが、いつの間にか、

これでいいのかあ〜(−_−;)?

という思いでいっぱいになる。

私の年代ではすでに一時を成し遂げ、第二の人生でさらなる成果を上げようとしているのに、私と来たら、これまでの人生を振り返る時に、何して来たんだろ?

…何もして来なかったな…(´-ω-`)

そんな思いになって嫌悪感にさいなまされることもしばしば…

人生これから!とポジティブに考えることもできる。

私も、これまで、ずーっと、そう考えるように心がけて来た。

しかし、それも、もう疲れた。

思うだけでは何も変わらない。

結局、何もしないまま何も変わらないまま時は流れ、今がある。

そんな私が急にこれから変わることは期待できない。

とにかく生きよう

ただ一つ違うことがあるとしたら、こうして、今の思いを文章にし、ブログで発信してること。

こんな愚痴めいた、方向性のない文章なんて誰の目にも留まらないし、役にも立たないだろうが、自分自身のガス抜き程度にはなる。

後は認知症予防とか作業療法?的な効果も期待できるかもしれない。

すぐに方向性を失ってしまって、すぐに迷ってしまう私。

人のコミュニケーションが不得手で、もし、妻に先立たれたら、ひとり寂しく孤独死しかないな…別にそれでもいいけど…

なんて、しばしば思う私…

クリスチャンなのになんでかねぇ(´ω`)と自分自身に辟易とするこももしょっちゅうな私…

たぶん、自分はずっと、こんな感じなんだろう…

「軽そう」に入れば、その時期だけは、その限りではないかもしれないが…

まあ、そんな私ではあるが、とりあえずは、ここまで「生きた」ことを自分自身で認めて、褒めてあげよう。

人生を「生きる」っていうだけでも、なかなか「しんどい」ものだ。

「生きる」ってだけでも、それは立派な「使命」を果たしているとも考えられる。

また、実際は「生かされている」ことに気づかされていることにも感謝しよう。

人間は「酸素」という物質が一つなくなっても「生きる」ことはできない。

創造神が「生きる」ことのできる環境を整えてくれているからこそ、生きていることができる。

また妻を始めとして、これまで様々な方々の支えがあればこそ、ここまで生きることができている。

さらに言えば、目の前に並ぶ食物だって、私が見たことを会ったこともない方々の手をとおして、目の前に届いている。

それもまた「支えられてる」ことになるだろう。

とにかく「生かされている」間は「生きる」。

「生きる」

そして、「感謝」する。

それだけでいいんだ。

自分自身にそう言い聞かせながら、日を過ごしたい。

ボ〜っとしてたって「生きて」いればそれでいい!

理屈抜きでただ「感謝」してればそれでいい!

私の場合は、たぶん、それでいいんじゃないかな?

とりあえず、丁寧に息をしようか

生きるって何?

それは「息をすること」。

目をつぶろう。

そして、ゆっくり息をしよう。

深く息をしよう。

ゆっくり、そして、深く…

「息」を整えること。

それが「生きる(人生)」を整理する助けになるかもしれない…

そんなことをボ〜っと考えている。

最後に

たぶん、すぐにまた、本当にこれでいいんだろうか(−_−;)

と悩み出すだろう。

でも、それはそれでよしとしよう。

本当にこれでいいんでしょうか?

と、神に問えば、それが「祈り」となるだろう。

ただ「感謝」しよう。

丁寧に「息」をしよう。

そして「今」を生きよう。

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