なぜ、神は人間を造った?人間が生きる理由は?


なぜ創造主は「人を造ろう(創世記1:26)」と思われたのだろう?

そもそも、この世界を創造されたのはなぜだろう?(すでに世界は創造されているので、そんなことを考えても意味はないかもしれないが…)。

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人間が造られた理由

人間が造られた具体的な理由は聖書には記されていない。

でも、ざっくりとした理由は述べられている。

それは「神の栄光のため」(イザヤ書43:7)。

イザヤ書43章7節では厳密には、神の栄光を現すのは「わたし(神)の名で呼ばれる全ての者」となってる。

しかし、「天は神の栄光を語り告げ(詩篇19篇)」と記されてる箇所もある。

神によって造られた全てのものが神の栄光を現すために存在している。

聖書はそう教えていると考えていいだろう。

しかし、そんなこと言われても…

栄光を現すって具体的にどうすれば?

と思わないでもない。

しかし、よくよく考えてみれば、そんなに難しく考える必要はないのかもしれないとも思う。

人間以外の動植物だって「神の栄光」のために造られている。

彼らが日々の生活の中で「神の栄光を現す」ことを意識してるとは思われない。

彼らはただ「今」を懸命に生きてるだけ。

それが結果として「神の栄光」を現すことにつながっている。

人間も基本的にはそれでいいのでは?

こうして私が「う〜んう〜んಠ_ಠ」と神について、人生について「考える」こともまた「今」を懸命に生きる一つのカタチなのかもしれない。

私は 、天の下で行われるいっさいの事について 、知恵を用いて 、一心に尋ね 、探り出そうとした 。これは 、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ (伝道者の書1章13節)

と、ソロモンも言ってるしね。

「人生の意味」について考えるなんて「人間」にしか出来ないことだし…

特に人間にとって大切な神の栄光を現す手段は、イエス様も言われたように「互いに愛し合うこと」だろう。
なんたって「神は愛」だから。

ただ私の場合、そこから、じゃあ「愛する」ってどういうことなのさ?

となる。

たぶん、それは「人の真のニーズを満たすこと」なんじゃないかな?

物心ついてからこのかた、こんなことばっかり考えてるな…

…と、今日も「うんうんಠ_ಠ」考える昭和の親爺なのであった。

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