神の国と神の義を求める

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(‭‭マタイによる福音書‬ )‭

クリスチャンだったら、誰でも知ってるような有名な言葉である。

しかし、「神の国と神の義」って何?

と、問われたらどうだろう。

え?そ…それは…

と戸惑ってしまう方も少なくないのではないだろうか?

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神の国と神の義とは?

多くの人たちが、日曜日の礼拝を忠実に守っていたら、神の国と神の義を第一にしている。

とにかく、神に喜ばれることをしてれば、それが神の国とその義を第一にしてることになる。

…となんとなく思っているのではないだろうか?

もちろん、それらのことも神の国と神の義を第一にすることに含まれるとは思う。

また「神の国と神の義」に関しての解釈も、神学者や説教者の間で意見が多少異なることもあろうと思う。

しかし、このみことばは、それに従う時に「すべて添えて与えられる」との約束が伴っている。

だから、このみことばに真摯に向かわないことは、地上でのクリスチャン生活、また、天上での永遠の生活に、多大な影響を与える可能性が高い。

それぞれ、自分なりに「神の国と神の義」とは何か?自分は本当にそれを第一にしているだろうか?ということを吟味することは大切なことだと思う。

神のみことばに支配される

私自身の「神の国と神の義」に関する、現時点での見解を簡単に述べたい。

聖書の原語的、また全体的意味を加味して「神の国」は「神の支配」、そして「神の義」を「神のみことば」に変換してみる。

その上で、両者を一つにして上記の言葉を捉え直すと次のようになる。

神のみことばによって(自分の心が)支配されることを、まず何よりも追求していきなさい。

こう考えると、よく意味が分かるし、自分がこのみことばにどう応答すべきかも自ずと分かってくる。

みことばへの応答

私の場合は、その応答として、何よりも聖書を学ぶことを優先するライフスタイルにしなければならないと考える。

たとえば、1日の初めに、そして、1日の終わりに聖書を読む習慣を身につける。

また、1日中、聖書のことばを思い巡らし、告白し、それを信じ、また実践することを意識する。

みことばを理解するためにも、それを実践するためにも、聖霊の満たしは不可欠なので祈る。

そのようにして、私たちのライフスタイルが、みことばを何よりも優先する生活に変化して行く時に、詩篇1篇にも記されるような神の祝福が豊かに注がれる。

そう、信じて、少しずつでもいいから、自らの生活を変えて行こうとの決心を新たにするものである。

「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。」詩篇‬ ‭1:2-3‬ ‭

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