みやぞんがいつもニコニコしている理由。多くの人がニコニコできない理由。

今、絶大な人気を誇る「ANZEN漫才」のみやぞん。

どうして、いつもあんなにニコニコしてることができるの?

そんなふうに思っている人もいるようだ。

その理由の一つとして、ある番組で、みやぞん自身は、とにかく「今を楽しく生きることを心がけている」と言っていた。

また、相方のあらぽんによると、みやぞんはあまり物事を深く考えないと言う。

物事を深く考えないというよりも、考えられない、という表現のほうが正確なのかもしれない。

それはともかく、彼は、彼自身の心がけ、生来の思考傾向、精神的に恵まれた家庭環境(経済的には貧しかった)などにより、あまり先について悩まない性格を形成することができた。

結果、いつもニコニコしている。そんな感じらしい。

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ニコニコに集まって来るモノ

昔から、みやぞんの周りにはいつもたくさんの友だちが集まって来ていたという。

その理由も彼の「ニコニコ」にあるのではないだろうか?と思った。

虫も明るいところに集まるが、人も明るいところに集まる。

それは物理的な明るさだけでなく、精神的な明るさにおいてもそうである。

ニコニコしている人には話しかけやすい。

ニコニコ接してもらえると、それだけで癒されることもある。

だから、そういう人のそばには自然と人が集まって来る。

集まって来るのは人間だけではない。

「笑う門には福来る」。

「幸運」もいつもニコニコしている人には集まって来るのではないだろうか?

それが、みやぞんが、これまでの人生の中で、マンガみたいな幸運に恵まれた理由なのでは?と思わないでもない。

もちろん、みやぞん自体、非常に才能に恵まれた人である。

しかし、それだけでは決して、手に入れられないような機会や出会いに高確率で遭遇している。

「笑う門には福来る」は単なる迷信ではない。

神の定めた法則

それは目に見えない「法則」である。

その「法則」を定められたのは神。

だからこそ、聖書には「いつも喜んでいなさい」との教えがある。

それは、神が人間に「幸運」を掴んで欲しいからこその教えである。

「いつも喜ぶ」ことは、私たちが神の祝福を受けるための必須条件と言ってもいい。

人間はそもそも「いつも喜ぶ」ように造られている。

もし、私たちが「いつも怒る」ことが、本来の在り方なら、それによって、肉体的にも社会的にも、霊的にも健康になるだろう。

しかし、実際はその逆である。

「いつも喜ぶ」ことのほうが、肉体的、社会的、霊的健康につながることのほうが多い。

ただ、残念なことに、多くの人が「いつも喜ぶ」ことよりも「いつも怒る」ことや「いつも悲しむ」ことを選び取る傾向にある。

みやぞんみたいに、いつもニコニコしていたいと頭では分かっていても、いつもイライラしてまっている人も少なくない。

とは言え、ある意味みやぞんは特殊かもしれない。

誰もが彼のようにニコニコできるわけではない。

彼のニコニコは母親を初めとして周囲に恵まれていたこと、また、もしかすると、軽い発達障害があって、その症状が良い方向に出ているような気もする。

それにしても、本来、いつも喜ぶように造られているはずの人間なのに、どうして、それを実践することが、困難になってしまっているのだろう?

いつも喜べない理由

聖書はその理由について、次のように教える。

私たち人間は、創造主なる神との関係を絶ってしまったが故に本来の姿が歪められてしまった。

だから、「いつも喜ぶ」生き方をしたいと願うならば、創造主なる神との関係を回復することが必要になってくる。

その回復のための唯一の道が、イエス・キリストであると聖書は教える。

「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(イエス・キリスト)」ヨハネによる福音書‬ ‭14:6‬

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