嫌いな自分を好きになる、とても簡単で確実な方法

自分にとって一番身近な人間は誰?

親?兄弟?友達?パートナー?

否、それは「自分自身」である。

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自分自身との会話を意識する

どんなに親しい人でも、四六時中一緒にいるわけではない。

しかし、自分はいつでも、自分と一緒。

当たり前のことだが、これを意識するのとしないのとでは、随分違ってくる。

多くの人は意識してないかもしれないが、自分は常に自分自身と会話している。

たとえば、何か失敗した時のことを考えて欲しい。

なんて、自分はバカなんだろう?この前も同じ失敗をしたばかりなのに、同じことを繰り返すなんて…などと自分を責めてはいないだろうか?

これは、自分が自分に対して話しかけている言葉なのである。

このような自分自身との対話において、私たちは、これまでに無数の言葉を自分自身に投げかけてきた。

その無数の「ことば」の内容はどのようなものだったろうか?

細かい内容は、いちいち覚えてないかもしれないが、その多くが否定的、消極的、悲観的ものではなかったろうか?

自分が自分の敵になっている?

先に挙げた例のように、失敗してしまったら、反省することは大切なこと。

同じ過ちを繰り返さないよう創意工夫すべきだろう。

しかし、「反省」と「自責」を混同してしまうと問題が生じて来る。

本人は反省してると思っているのだけれども、実際はただただ自責に終始し、ひたすら、自分に否定的な言葉を投げつけているだけのことがある。

考えて見てほしい。

もし、他人が、毎日のように四六時中、否定的なことばを、あなたに投げつけていたらどうだろう?

あなたの顔を見るたびに、お前はブスだ、とか、お前は使えない、とか、お前は幸せにはなれない、などと言ってくるのだ。

怒りがこみ上げてくるだろうし、しまいには精神的に参ってしまうことだろう。

自分が自分に否定的な言葉を放ち続けているのは、実はそれと全く同じ状況である。

もしかすると、それが、あなたの心の奥底にある憤りや、無気力の一因になってるかもしれない。

一番あなたの身近にいる、あなた自身があなたに敵対しているような状態で、人生を歩むのはしんどいのは当然である。

自分が最高の自分の味方であれ

もし、今、自分の思考回路が、自分を敵のようにみなしていることに気づいたなら、すぐにそれを辞めるべきだ。

それをそのまま放っておいても、何も良いことはない。

これからは、自分が自分の最大の味方になることを決意するのだ。

そのままの自分、ありまのままの自分を好きになるという決意をするのだ。

とは言っても、今まで嫌っていた自分を急に好きになることは難しいかもしれない。

私の場合は、私たちの「存在」そのものを喜んでくださる「創造主なる神」を知ることが、自分を受容する上で、大きな助けになった。

「創造主」が「私」を「私」として「あなた」を「あなた」として、この地上に存在させている。

神なんていない、と言う人は多い。

しかし、考えて見てほしい。

地上の「知」を結集しても「人間」を作ることはできない。

「人間」をはじめとした「万物」の存在そのものが、人間の知恵と能力をはるかに凌駕した「創造主」の存在を明示している。

あなたは最高の状態で創造された

聖書によると、創造主なる神は「私」をまた「あなた」を最高の存在として創造された。

そして、その神は私たちを愛しておられる。

地上では肉体的、精神的、社会的、経済的ハンデなど、多々抱えながら、生きていかなければならないかもしれない。

しかし、それらは全て、人として成長する上で欠かせないものとして神が与えてくださった賜物である。

私たちが死んで後、神の前で評価されるのは、その人が、人としてどれだけ成長したかどうか。

どれだけ出世したとか、財産を蓄えたとか、有名になったとか、そんなことは全く問題にされない。

だから、神は私たちが地上で十分な霊的成長を遂げることができるよう、それぞれに最善の環境を整えられる。

どうして自分がこんな目に…と思うこともたくさんあるだろうが、それでもなお、神の愛を信じ、神の最善を信じることができるならば幸いである。

十字架をとおして示される神の愛

素晴らしい「神の愛」は「イエス・キリストの十字架」をとおして、今も私たちに示されている。

イエスはあなたの「罪」の罰をその身に負って十字架に死なれたと聖書は教える。

神はご自身の命を投げ出すほどに、あなたを愛しておられる。

私はイエスを自らの救い主として受け入れる過程経て、長い間、好きになれなかった自分を、好きになれるようになった。

自分自身が一番受け入れ難かった人としての「弱点」、そして、そのために生じた芳しくない結果さえも、これからの人生が豊かにされるための「伏線」として捉えられるようになった。

私の場合、ここに至るまでに、二十年以上の歳月がかかってしまったので、なんと勿体ないと思わないでもないが、それもまた神の御手の中にあること。

神は私の味方、そして、自分も自分の味方。

神をほめたたえつつ、また、自分をもほめてあげることを忘れないよう心がけている。

この記事をここまで読んでくださった方には、とりあえず、是非、今この瞬間から自分を褒めてあげる習慣をつけて欲しい。

他人と比べる必要は全くない。

ここまで「生きてきた」ということだけでも十分にスゴイこと。

どんな小さなことでも、自分をほめてあげて欲しい。

それに加えて他人もほめてあげれば、きっと鬼に金棒。

それを継続していけば、きっと自分を好きになれるし、それだけではなく、他人も好きになれるはず。

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