ユダヤ教では「善悪の知識の木」から取って食べたことは堕落(堕罪)ではない?

創造主なる神によって造られた初めの人間アダムとエバ。

彼らは創造主が食べることを禁じられていた「善悪の知識の木」から実を取って食べた。

キリスト教では、創世記に記されたその出来事を否定的に捉える。

「善悪の知識の木」から取って食べたことで得たメリットは何もない。

人間は死すべき存在となっただけでなく、エデンの園から追放された。

働くことは食を得るため苦しみとなり、出産の苦しみも増した。

生まれてくる人間は、どんどん悪に傾く性質になっていく。

禁断の実を食べた後の状況を見ると、アダムとエバの違反行為を否定的に捉えるのはごく自然なこと。

しかし、キリスト教の母胎であるユダヤ教ではどうやらそうでもないという記事を目にした。

それによると、むしろ、「善悪の知識の木」から取って食べたことを、ユダヤ教では肯定的に捉えているらしい。驚きである。

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「ユダヤ教」における「善悪の知識の木」

「善悪の知識の木」から取って食べたことは、人間に与えられていた「自由意志」を行使したこと。

それによってアダムとエバは完全な人間になった。

ユダヤ教ではそう考えるらしい。

それまでの人間は人間としては不完全だったのだと。

また、人間が神に逆らったことよりも、それでも彼らが神との対話をやめなかったことを評価するという。

食料を得るための労苦と、出産の苦しみは、「善悪の知識の木」を食べることによって善悪を見分ける力と知恵を得た代償であり、それらは必要なことであったと。

キリスト教的視点からすると、もっと反省したほうがいいのでは?と思えるが、なんとも、どこまでもポジティブである。

蛇は悪魔ではない?

他にも、キリスト教とユダヤ教ではエデンの園での出来事について捉え方が違う点がある。

キリスト教ではエデンの園でエバに声をかけた「蛇」をサタン(悪魔)を象徴するものとして解釈する。

しかし、ユダヤ教では蛇は悪魔を象徴するものでもないらしい。

しかも、蛇はエバを誘惑したわけではないという。

百歩譲って、蛇が悪魔を象徴するものではなかったとしても、聖書を読む限り、蛇はどう見ても誘惑しているようにしか見えない。

エバに「善悪の知識の木」から取って食べるように言葉巧みに仕向ける蛇の様子をどう考えたら、あれは誘惑ではない、と言えるのだろう?不思議でならない。

何か、私の知らないユダヤの伝承があり、それとあいまって、そんな解釈になっているのだろうか?

もし、そうだとしたら

こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。(マタイ15:6)

とのイエスの言葉が脳裏をよぎらないでもない。

サタンの惑わし?

ユダヤ人が、アダムとエバが神に逆らったらことを肯定的に捉え、それを「罪」とみなさない限り「罪」から救う「キリスト(救世主)」の必要性は感じないことだろう。

そう考えると、保守的、かつ原理主的キリスト者としては、もしかするとサタンは今もなお様々な伝承でユダヤ人を惑わしているのかもしれない。

そんなふうにも思えてしまう。

ただ、今回のこの文章は「聖書百科全書」を読んでいてユダヤ教の「堕罪」に関する短文を目にしての所感。

私自身はユダヤ教にはまだまだ疎い。

その短文の信憑性についても、調べる必要がある。

ので、まだハッキリした意見や見解を述べることはできない。

ただ、キリスト教のことをもっと知るためにも、ユダヤ教についても、もっとしっかり勉強したい、という思いになれたのは大きな収穫だ。

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