「金持ちになりたい」なんて思わないほうがいいらしい。

「金持ちになりたい」

誰もが一生に一度は思うことではないだろうか?

いや、一度どころではなく、何度も思ってるよ、という人がほとんどかもしれない。

この記事を読まれてる方の中には、そう思っているだけでなく、そうなるべく努力しておられるかもしれない。

かくいう私も以前は「金持ちになりたい」と思っていた。

しかし、「金持ち」は「金持ち」で気苦労が多く、大変なんだと分かってから、何よりも自分自身に「金持ち」になる才覚がないことが分かってから、あからさまに「金持ちになりたい」とは思うことはなくなった。

それでも、お金の心配をしなくていい生活が遅れればなあ、と思うことはしばしばだ。

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金持ちになりたいと思うな?

ちなみに聖書の教えによると「金持ちになりたい」と思うことは、あまりよろしくない。

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。(Ⅰテモテ6:9)

と「金」を持っていることで「誘惑」に会う機会も増えてしまうことになるので、危険だと教える。

とは言うものの、決して「金」そのものを「敵視」しているわけではない。

金銭はすべての必要に応じる。(伝道者の書10:19)

とあるし、イエス・キリストの宣教の働きも資産家の金銭的サポートによって支えられていた。

自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。(ルカ8:3)

宣教の働きに多くの「金」が必要であることは今でも変わらない。

「金銭に執着する心」が危険

聖書が敵視するのはあくまでも「金銭に執着する心」である。

だから危険なのは単に「金持ちになること」ではなくて、「金銭に執着している人が金持ちになること」が危険であると聖書は教えているわけだ。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(Ⅰテモテ6:10)

敬虔なクリスチャンを装っていても、心の奥底で「でも、なんだかんだいっても、人生、金だよね〜」なんて思っている人は気をつけたほうがいい。

そのような人たちは高確率で神から離れてしまう。

もしかすると使徒の働きに登場するアナニヤとサッピラの夫婦もそんな人だったのかもしれない。

彼らの中にあるちょっとした「金銭への執着」が、彼らにとって文字通り命取りになってしまった。

世界的に大いに用いられた牧師や伝道者であっても「金」の誘惑に屈してしまって堕落する人も少なくない。

酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で(Ⅰテモテ3:3)

と、教会で指導的な立場にある人たちに「金銭に無欲」であることが求められる理由がそこにある。

「執着」は「満足」を生み出さない

不思議なことに「金に執着する人」は「金」に満足できない。

金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。(伝道者の書5:10)

結局のところ「欲」を満たすことで、満足を得ようと思っても、それは一時的な満足しかならないからである。

それは「金銭欲」だけに限らない。

本能的な欲求である「食欲」や「性欲」、心理的な欲求である「名誉欲」や「独占欲」などなどでも同様だ。

一時的には満たされて束の間の喜びを味わうかもしれない。

しかし、すぐにむなしくなり、もっと、もっと、となってしまう。

「欲望」を満たすことによって「幸福」になろうとするむなしい努力は今すぐにやめるべきだ。

クリスチャンであるならば、なおさらのこと。

満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道(Ⅰテモテ6:6)

金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。(ヘブル13:5 前半)

と聖書は教える。

老子だって「足るを知る者は富む」と教えているのに、まことの神を知ると自負するクリスチャンが、それを学ばないのは恥だ。

満足することを学ぶために

老子が、「足るを知る」生活を実現するために具体的にどうすればいいと教えているかは知らない。

しかし、聖書はクリスチャンが「満足すること」を学ぶために目を留めるべき真理を指し示している。

それは

わたし(イエス)は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(ヘブル13:5後半)

というイエスの言葉である。

神が私たちとともに歩んでくださる。

神は決して、私を捨てることも、見放すこともない。

私たちが、この言葉の素晴らしさを本当に理解するならば、次の賢人の祈りはそのまま私たちの祈りとなるであろう。

不信実と偽りとを私から遠ざけてください。 貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で 私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。(箴言30:8-9)

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