どうして「書く」ことによって精神が安定するのか?

昨晩は、思いつくままに文章を書くことによって、思考と感情の乱れが多少なりとも安定する経験をした。

そのような体験は決して初めてではないが、なぜ、そうなるのか?ということついて、じっくり考えたことがなかった。

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思考を文章化(言語化)することによる効能

たぶん「書く」という行為によって、混乱した思考が言語化され、思考が整理されるのだろう。

それが自分を客観視することにつながり、さらには精神安定につながるのでは?と思うのだ。

他人のことはよく分かるけれども、自分のことになるとよく分からなくなる経験をすることはないだろうか?

それは他人のことだったら、簡単に、客観視できるから。

だから、ああすればいいのに、こうすればいいのに、と冷静な判断ができる。

しかし、それがいざ自分のこととなると、様々な思いや感情があいまって、客観視できなくなる。

自分のことだけでなく、自分に近い関係の人、たとえば肉親とかに関しても、そんな傾向がある。

よって冷静な判断ができなくなる。

それで、どうしていいか分からなくなるわけだ。

逆に冷静な判断をしたいなら、できるだけ自分を客観視する努力をすればいい。

文章を書く習慣をつけることによって

自分が自分である以上、自分に関して完全に客観視することはできないとは思う。

しかし、できる限り自分を客観視する努力はできる。

それによって、自分を過大評価したり、過小評価することもなく、等身大の自分で生きることができるようになるのではないだろうか?

そんな期待を抱いている。

私にとって、そのために最も役に立つツールがこうして「文章を書くこと」なのだろう。

「モーニングページ」を実践していた時には全体的に調子が良くなるは、きっとそんな理由からだと思う。

と言いつつも「モーニングページ」はここしばらくサボっている。

だから、全体的に調子が悪くなってるのかもしれない。

ということで、これからはブログを「モーニングページ」的に利用していきたいと思う。

とにかく、息をするように文章を書く習慣をつけたい。

良い習慣をつけるのに遅すぎることはない。

私はすでに44歳であるが77歳まで生きれるとしてあと43年も残されている。

私が色んな意味でステップアップするチャンスはまだまだあるはず。

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