ほぼほぼニートの躁うつ中年男だけれども、ゆっくり、じっくり生きていくよ

一昨日、妻に軽く尻を叩かれつつ、重だるいカラダとココロを引きずりながら、ハローワークを訪ねた。

しかし、ハローワークの待合室にに入ること自体、今の私にとっては大きな恐怖。

入口の求人票をなんとなく眺めたり、トイレに行って用を足したり、顔を洗ったり、なんたりかんたりして、気を静めた。

ともあれ、少し頑張って?ハローワークに行って来た甲斐あり、今の自分にとって理想的な求人を見つけることができた。

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求人応募のための必要書類を準備するのも一苦労

ただ、その求人に応募するには履歴書に加え、職務経歴書とテストライティングを添付し、東京の本社に送付しなけれなならない。

当たり前のことかもしれないが、超面倒くさい…

ただでさえ履歴書などを書いたりするのは苦手なのに、まだ「うつ」から抜け切れない私にとって、それはなかなか大変な作業だ。

結局、昨日はテストライティングどころか、履歴書1枚さえ書きあげることができなかった。

そして、今、とても絶望的な気分である。

履歴書1枚さえまともに書けない私が果たして社会で普通に働けるだろうか?自信はさらになくなって来る。

取りかかりも遅い。

取りかかってからも遅い。

思考力も集中力も持続力もほぼゼロ。

結局、作業は遅々として終わらない…

料理や掃除など家のことは少しはできるようになってきたので大丈夫かな?と思っていたが、残念ながら、まだ全然大丈夫ではなかった。

余計なことはできるのに、肝心なことができない。

本当に情けない。

普段だったら1時間もかからず終えられる作業が、1日かけても終わらないなんて、もう死にたい。

身体に障害があるわけではないので、こんな自分の状態に自分でも戸惑ってしまう。

今の自分の状況と冷静に向き合う

しかし、身体に障害を負った人が作業をするのに健常者よりも時間がかかってしまうように、精神に障害を負った人が、日常の作業に時間がかかってしまうのは当たり前のことだ。

それを自分でも認めてあげなければならない。

このまま負のサイクルに陥ってしまうことは避けたい。

先日、あるお笑いの大会で、目の不自由な芸人さんが、自分の障害を笑い飛ばしているのを見て、芯の強い人だなと感心した。

しかも、彼はその大会で優勝した。

大いに感動させてもらった。

私も自分の精神的弱さを笑い飛ばせればいいなと思う。

しかし、「うつ」の時期にそれを実践するのは非常に困難。

もともと芯がフニャフニャな人間なので、精神的に調子が良い時期でも、それは無理かもしれない。

しかし、たとえ自分の弱さを笑い飛ばせなくとも、常にできるだけ自分を客観視できるように努めたいとは思ってる。

こうしてブログを書くのも、そのための最近の努力の一つだ。

このブログはブログで稼げないかな?という甘い考えのもと始められたが、今は自分の自分による自分のためのブログとして、精神安定のためのツールである。

聖書の教えと向き合ってみる

ブログだけでなく、人生に関しても、自分の自分による自分のための人生と割り切れればもっと楽に生きられるのでは?と思うことがある。

しかし、聖書は次のように教えている。

「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ローマ14:7-8)

クリスチャンにとって人生はもはや自分のものではない。

それは、私たちの主イエス・キリストのものである。

だから、自分のために生きるなんてとんでもない。

私は上記の聖書の言葉をそんなふうに受け取って来たし、これからも、そう受け取っていくだろう。

とするならば、このブログもまたキリストのものという結論になる。

だから、果たして、こんなぐちぐちとした内容のブログを続けていいものかとの迷いもある。

しかし、聖書の中では、たとえば詩篇など、神の聖徒たちが、自分のありのままの気持ちを負の感情を含めて赤裸々に語っている。

クリスチャンでありつつも、時には消極的な告白をしてみたり、愚痴ったりするのも、それはそれで、いいのかな?とも思う。

と、こうしてグダグダ考えることが、心を病む一因なのでは?と言う思いもよぎってきて、ドツボにはまりそうにならなくもない。

負け犬だけど、負け犬じゃない

しかし、聖書の教えがあったからこそ、これまで、まともに生きて来られたというのもまた事実。

人の目から見たら、負け犬な人生だが、聖書の教えを知らなかったら、とうの昔に犬死にしていたことだろう。

もし、私が聖書の教えを知らないで生きていたらどうなっていただろう、と改めて考えると恐ろしい。

ずいぶん前に自らの命を絶っていた可能性は高い。

依存体質なので、アルコール依存症になったり、ギャンブル依存症になっていたかもしれない。

不倫をしてしまって幸せな家庭を壊し、多くの人を不幸にしてしまったかもしれない。

しかし、私は聖書の教えのおかげで妻以外の女性とは肉体関係を持つことなく、今も夫婦仲良く暮らすことができている。

10年以上「双極性障害」と思われる「躁うつ」のサイクルに悩まされて、破壊衝動と希死念慮に悩まされ「自死」を幾度も考えたが、これまで最終的に死ぬ選択をしなかったのも聖書の教えがあればこそだ。

酒もタバコもパチンコもせず、自分よりも二十も若い女の子に、何が楽しみで生きてるんですか?と鼻で笑われることもあるが、全然気にならない。

これまで「負け犬」な人生を送ってきたなと情けなくなっていたが、そう考えると、ある意味、勝利の人生を生きて来たのかもしれない。

そう考えると幼い頃から聖書の教えに親しめる環境にあったことに感謝しなければならない。

聖書男とブログに銘打っておきながら、ここ1ヶ月ほど聖書にしっかり向き合えていなかった。

これを機に、再び聖書に向き合って見ようと思う。

とりあえず目の前にあることから始めよう

履歴書1枚さえ、まともに書けなくなってるオジさんだけど、人生まだまだこれから。

じっくり、ゆっくり、自分のペースで生きよう。

神の真実であることを信じよう。

普段だったら1時間で済ませられることが、たとえ1日かかったとしても、2日かかっても、もしくは1週間、1ヶ月、それ以上かかったとしても、最後まで終えさせる習慣をつけよう。

ただいま午後2時15分。

さて、とりあえず履歴書を完成させようか…

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