最終的には、いつも聖書の言葉によって「うつ」の期間から抜けるような気がしないでもない。

私は何も思い煩いません。

あらゆる場合に感謝を持って捧げる祈りと願いによって、私の願いごとを神に知っていただきます。

人のすべての考えにまさる神の平安によって、私の心と思いは守られています。

今朝は覚醒と同時に、上記の言葉が頭の中に浮かんだ。

これは聖書の教えに基づく告白である。

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「うつ」から抜ける兆候か?

その告白は新約聖書、ピリピ人への手紙4章6-7節の言葉に基づく。

原文(新改訳聖書3版)は以下のとおり。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

朝、目覚めとともに聖書の言葉が脳裏によぎる、もしくは賛美歌が流れる。

今までの経験からすると、このような現象は「うつ」の期間を抜ける際の良い兆候であることが多い。

1月の終わりから、昨日まで約40日間、暗闇の中に閉じ込められていた感があったが、ようやく一筋の光が差して来た感がある。

心の健康を保つために

「何も思い煩わない」

これは、心の健康を保つ上で最も大切なことだ。

いくら悩んだところで、何も状況は変わらない。

悩むな祈れ!

これが、私たちクリスチャンのモットーのはず。

しかし、油断してしまうと、私たちの敵である悪魔と悪霊の攻撃によって、思い煩いによって支配されてしまう。

実際、年末から「うつ」に入ってはいたが「祈りとみことば」の生活が充実していた期間は「うつ」を自覚しつつも、普段と変わらない生活を送れていた。

それが、年が明けてから、2-3週間体調を崩して寝込んでしまった際に「祈りとみことば」の生活が疎かになってしまった。

体調は回復してるのにも関わらず、心の調子が体調を崩している時よりも悪くなってしまい、昨日までドツボにはまってしまっていたのは、きっとそれが原因ではないかと思っている。

「うつ」にハマってしまうと、まるでノンクリスチャンかのような思考と言動になってしまう。

それは、ここ最近のブログ記事を見れば明らかである。

幸い、今日は聖書の教えに基づく告白によって、目覚めることができた。

この良い思考の流れを途絶えさせないためにも、聖書の教えに基づいた告白をさらに加えたいと思う。

信仰の告白

祈って求めるものは何でもすでに受けたと信じます。そうすれば、そのとおりになります(マルコ11:24)。

私のただ一つの願いは主の家に住まい。主の宮で神を常に思うことです(詩篇27:4)。

主を喜びとする時、主は私の心の願いを叶えてくださいます(詩篇37:4)

私はあらゆる時に主をほめたたえます。私の口には主への賛美が絶えることはありません(詩篇34:1)

天ではあなたの他に何を持つことができるでしょう。地上ではあなたの他に私は何も望みません(詩篇73:25)

主は私を「うつ」の暗闇から再び救い出してくださった。

滅ぼす者の激しい攻撃から守ってくださった。

これはただただ神の憐れみによる。

これまで何度も何度も敵は私を滅ぼそうとして来たが、すんでのとこで滅ぼされなかった。

そして、これからも滅ぼされることはない。

天地万物の創造主こそが、私の神、私の主、私には乏しいことはない。

私は何も恐れる必要はない。

アーメン!

ということで、今日は久々に気持ちよく1日をスタートできそう。

今日という日に主が何をなしてくださるのか。

大いに期待していきたい。

主は私に関わる全てのことを成し遂げてくださる!

ハレルヤ!

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