地上での生活は「霊的成長」のための訓練である

今朝も昨日に引き続き、覚醒と同時に聖書の言葉が脳裏をよぎった。

それは旧約聖書、詩篇の一節。

あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。(詩篇51:12)

神は、私たちクリスチャンが、神に喜んで仕える者となるために、この地上で様々な訓練を与えられる。

真の「謙遜」を身につけさせるために、私の内にある「高慢」を砕いてくださる。

そんな思いが、詩篇の言葉に続いて脳裏をよぎる。

広告

霊的成長

いくら、この地上で財産を得ても、地位を得ても、名誉を得ても、へりくだることを学ばなければ意味がない。

聖められなければ意味がない。

愛することを学ばなければ意味がない。

すなわち、霊的成長がなければ、人生は無駄に過ごすことになる。

神は霊的成長を遂げるための機会として人生を与えてくださっている。

そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。(ローマ14:19)

今、私は私自身には何もないことを思い知らされている最中だ。

私には目の前に与えられている「働き」を成し遂げるための能力も体力も資質も気概もない。

人望も若さもない。

知恵もなければ、情熱もない。

愛さえもない。

まともに祈ることさえできない。

私は誰よりも惨めで、どうしようもない人間だ。

私の現実、それは、ほぼほぼニートの躁うつ中年男…

ただただ、神に憐れんでください、助けてくださいと、ため息をつくのみ。

今までは神はあえてそんな私を選んで下さっているんだ、と思えていた。

それが自分の慰めになっていた。

正直、今はそう思えない。

しかし、私たちは自分のうつろいやすい「思い」に人生の土台を置くのではない。

いつまでも変わらない神の言葉に人生の土台を置かなければならない。

私は生活費の全てを献金した極貧の未亡人のように、どんなに状況が悪くなったとしても、神に信頼し続ける者となりたい(ルカ21:2-)

いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝するものとなりたい。

祈り

天の父なる神よ。

どうか、私がこの地上において、あなたから与えられている「使命」に生きる者となることができますように。

「神のしもべ」として自らを捧げることができますように。

とんなに状況が悪くなろうとも、あなたを信じ続けることができますように。

死に至るまで信仰を守り続けることができますように。

真理を理解する力を、真理に生きる力を与えてくださいますように。

イエス・キリストの御名により、アーメン。

広告

シェアする

広告