自分が無くなれば、悩みもなくなる。自死することなく、自分に死に、悩みから解放される方法。

自分を「無」にする。

言い方を変えれば自分のことを「忘れ」他の人に尽くす。

これさえできれば、私たちの悩みの90%以上、個人的には99%が解決すると思っている。

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悩みのほとんどは自分に関すること

なぜなら人間の「悩み」のほとんどは「自分」に関することだからだ。

その「自分」が無くなれば「悩む」本体が無くなる。

よって「悩み」も消え去る。

それを「自殺」というカタチで実現させようとする人もいる。

しかし、それは最善の策とは思えない。

そんなことをしなくても「自分に死ぬ」方法があると聖書は教える。

キリストとともに死ぬ

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2:20)

もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。(ローマ6:8)

イエスを救い主として心に受け入れる時、人はキリストとともに十字架につけられる。

すなわち、キリストとともに死ぬことになる。

これが聖書が教える最も大切な真理の一つ。

この真理が私たちの中で血となり肉となる時、私たちはこの世の様々な思い煩いから解放される。

そして、キリストにある真の自由を謳歌することができるようになる。

そのような期待を私は抱いている。

ともに「死ぬ」ことを体得する

しかし、実際の自分を見る時、まだ様々なことで思い煩ってしまう現実がある。

それを「うつ」の症状として片付けることもできる。

実際、それはそれで間違いではない。

「うつ」の時期に入ると、普段だったら悩まないことで、悩んだり、傷ついたりしてしまう。

しかし、私の場合、それ以上に「キリストとともに死ぬ」ということを、まだまだ会得できていないことに、その大きな原因があるのではないかと思っている。

キリストとともに自分に死ぬこと、キリストとともに自分を無として神と人とに仕えること。

それをしっかり学び、体得すれば「躁うつ」を克服する何かの助けになるのではないか。

そんな期待を抱いている。

祈り

私はキリストとともに十字架につけられた!私はすでに死んだ!

もう自分のことで悩む必要は全くない。

今日は、この告白を胸に、賛美歌を聞きながら眠りにつこうと思う。

願わくば、神が私を哀れんでくださり「うつ」の泥沼から救いだして下さるように。

すでに霊的な世界で実現している出来事が、目に見える世界にも実現しますように。

今の時の苦しみをとおして、新たな信仰のステップへと導いてくださいますように。

イエス・キリストの御名により。アーメン。

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