何も考えない、笑いを絶やさない、今を生きる。「うつ」の負のサイクルから抜けるために…

とにかく「行動」に移してみることが大事。

そして「継続」することが大事。

そのことは良く分かっている。

しかし、ついつい「思考」ばかりが先立ってしまう。

考え過ぎて「恐怖」に捕われてしまう。

結局、行動に移せない。

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継続を妨げる「うつ」

「行動」に移せることもある。

特に「軽躁」の時期は普段の自分と比較すれば行動的になる。

ただ「軽躁」の時期に「行動」に移せたとしても、残念ながら、それを「継続」することができない。

「うつ」の時期にほとんど何もできなくなるからだ。

「うつ」の時期に入ると三行日記さえ書けなくなってしまう。

結果、これまで、全ての物事が中途半端。

私の人生はその繰り返し。

結果、セルフイメージはどんどん低くなり、心もさらに病みやすくなる。

人生も折り返し地点を過ぎた。

そろそろ、この負の連鎖から抜け出したい。

そして、人生の後半戦を楽しみたい。

そのためにはどうすればいいのだろう?

「うつ」から抜け出す思考法の案

1番単純な解決方法としてパッと思いつくのは

①何も考えない

②笑いを絶やさない

③今を生きる

ただ、何も考えないといのは意外に難しい。

特に私は「考え過ぎる」ことで損をしているクセに「考えること」が好きな人間。

「真理とは何か?」ということを追求することをライフワークとしていると言っても過言ではない。

「色々と追及し考えること」それ自体は決して悪いことではない。

しかし、そのような性向は、人によっては一歩間違うと病んでしまう危険性を多分に含む。

少し前の話になるが、ある若手の俳優さんが、自分の趣味として「考えること」と答えておられるのを見て、この人、自分に似てるな、危ういな、と思ったことがある。

実際、その俳優さんは、その数年後に自らの命を絶たれてしまった。

私も、そう言った意味では危うい。

そんな私が「躁うつ」のサイクルの中で、苦しみつつも、今の今まで生きて来られたのは妻のおかげ、神の恵み。

つくづくそう思う。

思い煩うことは「罪」

先にあげた、何も考えない、笑いを絶やさない、今を生きる。

実はこれはある意味聖書的生き方である。

過去も未来も全てを神に委ねて「何も考えない(悩まない)」。

思い煩うこと、悩むことは、神を信頼仕切れていない証拠である。

それは「不信仰」という「罪」である。

それは死に至る罪ではないかもしれない。

ただ「罪」を犯し続けている状態であることは事実。

そのままの状態では神様からの祝福を十分に受けられない。

どんな中でも賛美と感謝の生活を送り聖なる「笑い(笑顔)」を絶やすことのない生活を心がけよう。

「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」(詩篇118:24)との言葉に従い「今日」という日を「今」という時を主にあって楽しもう。

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:34)

祈り

主よ、あなたにあって、いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝する人生へと再び招いて下さい。

子供のようにあなたのことを信頼して疑わない、純粋な信仰を新たにして下さい。

あなたは私が呼ぶ時に応えてくださる方。

愚かな私を哀れんで下さる方。

どうぞ、御手を伸ばして、私を暗闇の中から、絶望の淵から救い出して下さい。

今、私は、イエス・キリストの御名により、全ての思い煩いを私の思考から、断ち切ります。

私は何も思い煩いません。

あらゆる場合に感謝を持って捧げる祈りと願いによって、私の願い事を主に知っていただきます。

今、人のすべての考えにまさる主の平安が、私の心と思いを守ってくださっていることを感謝します。

イエス・キリストの御名により。

アーメン。

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