首を吊るイメージしか湧いて来ないけど…とにかく、今出来ることを少しずつ…

「うつ」状態に入ってから約2ヶ月が経過した。

最近にしては長期間「うつ」状態が続いているのでツラい。

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抜けそうで、抜けない「うつ」

しかも、その中で3回ほど、抜けるかな?という感覚があったのに、また「うつ」の中にズルズルと落ちこんでしまっていることが、さらに耐え難くしている。

朝夕の犬の散歩や、昼夜の食事作り程度は出来るようにはなってるが、外に出て働ける感じでは到底ない。

せっかく、先週の水曜日に求人でいい仕事があったのに、それに応募することすら出来ない。

出来ることに目を留める

しかし、出来ないことに目を留めても仕方がない。

まだ、少しのことしか出来ないが、出来たことに目を留めるようにしたい。

ちなみに先ほど作った今日の昼飯はカレー風味の焼きそばと、セロリと大根の卵とじコンソメスープ。

見た目はそれほどでもないが、味もそれほどでもない。笑

大量のセロリを義母からもらったので、それを消費することを目的とした料理だ。

ま、今、出来ることをとりあえず、少しずつ、やっていこうと思う。

正直な思い…

ただ、働かないと経済的に行き詰まる。

妻の視線も冷たい(ように感じる)。

実際、妻は私以上にツラいと思う。

「躁うつ」の人間が身内にいるなんて、これ以上、迷惑なことはない。

妻に自分のことで嫌な思いをさせたくはない。

キツいので、部屋で横になっていても、廊下を通る妻の足音でさえ、自分を責めているように感じられる。

どうして、自分はこんなことになってしまったのだろう…

とにかく情けない思いでいっぱいである。

しかし、嘆いたところで事態は変わらない。

「祈り」の生活が充実すれば精神的にも安定するだろうことは分かっていても、それができない。

「祈り」がままならないのはクリスチャンにとって、特に私にとって致命的である。

今は、とにかく「死にたい」としか思えない。

何の希望も持てない。

自分が首を吊るイメージしか湧いて来ない。

その思いをごまかすのに米ドラを見てるが、それでは根本的解決にならない。

心のうちに「神よ、助けてください」と叫ぶのにも疲れ果てた…

神は、私を見捨てたのだろうか?

確かに、人間的に考えたら、見捨てられても当然である…

自分の思いではなく

しかし、私たちは自分の思いではなく、神のみことばに、物事の判断の基準を置く。

神は聖書をとおして次のように語っている。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

もし、私が「召された人々」のひとりであるならば、神はこの「躁うつ」をはじめとした、私の「弱さ」を、必ず、私の人生にとって有益なものとしてくださるだろう。

今の状態では、まったく信じられないが「信じます」と告白するしかない。

しかし、もし「召されていなかったら?」という不安もなきにしもあらず…

神よ。不信仰な私を憐れんで下さい…

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