そろそろ「心の病」としっかり向き合う覚悟をしなければならない。ので、来週、精神科を受診することにする。

二十代半ばあたりから、妙に元気な時期と、わけもなく鬱々した時期とが交互に来るようになった。

その時分は、心の病に関する知識はほとんどなく、十代後半に経験した「うつ」の後遺症かな?なんて、何の根拠もなく思っていた。

「双極性障害(躁うつ)」を疑い始めたのは三十代半ば。

それ以来、いつか精神科病院でキチンと診断をしてもらわないといけないなとは考えていた。

そして、ズルズルと十年の月日が経過し、今に至っている。

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今まで精神科を受診しなかった理由

これまで精神科を受診しなかった理由はいくつかある。

一番の理由はプライドだろう。

自分が「心の病気」であることを認めたくない。

そんな気持ちがあった。

症状からするに、たぶん、高い確率で「双極性障害(躁うつ)」と診断されるだろう。

親しい人には結構気軽に「躁うつ」持ちなんだよね〜と言ったりもする。

しかし、そうは言いつつも正式に「双極性障害」と診断されてはいない。

それが、心のどこかで、自分のつまらないプライドを支えていたように思う。

自分の精神の障害を自覚しつつも、自分は精神障害者であることを認めたくない。

そんな思い。

結局、それは自分の中にある精神障害者への偏見から来ているのではないか?

今回、そのことを深く思わされた。

自分の中にある高慢な思い

精神障害者であると正式に認定されると、人生の落伍者としてのレッテルを貼られる。

そんな思いが私の中にあったように思う。

今まで、そんなふうに意識して思ったことはなかった。

自分自身、学生時代には極度の「うつ」状態に陥り、登校拒否になったことがある。

大人になってからは「躁うつ」のサイクルに翻弄され、そのため現在はほぼほぼニートの中年親爺。

自らの精神的弱さは、嫌という程思い知らされている。

精神障害者に対する共感や同情の念は持っていても、偏見など微塵も持っていないと思っていた。

しかし、今回の長引く「うつ」の中、いよいよ追い詰められ、精神科を受診するか否かと揺れ動く中、自分の心深くに「精神障害者」に対する偏見が隠れていたことに気付かされた。

自分にも明らかに心の障害がある。

そのクセに同じく心の障害を持つ人と同類と見なされたくない。

そんな思いが、自分の中にあったことに自分自身でも驚いている。

現実と向き合う覚悟

今回、いつもより早い時期に「うつ」になり、それが長引いていることで心身ともに消耗している。

そのせいで、妻にはいつもにも増して迷惑をかけている。

しかし、このことを通して、自分の中にある「高慢」が明らかにされた。

そして、この高ぶった思いを断ち切るためにも、きちんと精神科を受診したいと思っている。

どういう診断がくだり、どういう病名をつけられるかはまだ分からない。

けれども、これを機に自分の心の病としっかりと向き合いたい。

今までは「躁うつ」持ちだと言いながらも、その現実から、目をそらし続けて来た気がする。

自分の心の病と向き合う覚悟が必要だ。

双極性障害だったら、それは、今のところ、完治しない病気とされている。

一生付き合わなければならない。

すでに「躁うつ」の症状とは20年以上の付き合いではある。

しかし、あと30年以上は、それと付き合う覚悟が必要だ。

どのような結果になるかは分からないが、どんな診断であろうと、その現実を受け入れ、しっかりと向き合っていきたい。

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