無駄なことは何もない。そう、信じる。

今朝、目が覚めたらクビを痛めていた。

たぶん、寝違えたのだろう。

左右と上を向くことができない。

そんな状態でクルマを運転してたら、信号を見落とし、警察に捕まってしまった。

減点2点、罰金9000円。

気分が下がってる時だったら、再び希死念慮に囚われてしまう事態だ。

しかし、現状、「軽躁」になっているからか、支払いを拒否し、逮捕されてしまいたい気分でいっぱいである。

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自らの障害に向き合えとのメッセージか?

せっかく、気分も上向きになって来ていたのに、首を痛め(寝違え?)、財布を痛め(反則金)、心を痛める(妻の慰め)ことになるなんて。

双極性障害に向き合うのもいいけど、もっとわたしと向き合いなさいとの、神のメッセージなんだろうか?

そんな思いが、ふとよぎった。

確かに「うつ」に入ってから、聖書を読んだり、祈ったりする時間が減っている。

双極性障害は人間的には完治はないとされる病気。

完全な癒しとなると、それは神の領域になる。

今現在、双極性障害の症状に悩まされていることも神の御手の中にあることを信じるが、同時に、御心であれば神は完全な癒しを与えてくださることも信じる。

双極性障害と向き合うためにも、私はクリスチャンとして、まず何よりも神と向き合うことを優先しなければならない。

そんなふうに思えただけでも、寝違えも、罰金も、無駄ではなかった。

そう思いたい。

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