「双極性障害」と折り合いをつけるためにも、できるだけ「楽」をして生きることにした。

私は「楽」をして生きることに「罪悪感」を覚えるタイプだった。

かといって、自ら「苦」を選ぶ人間だったか?というとそうでもない。

「楽」をすることに罪悪感を覚えつつも「苦」から逃げて生きるという矛盾に生きて来たわけだ。

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罪悪感のつのる人生

当然のことながら、そんな生き方をしていると、人生を重ねるごとに、罪悪感もどんどん心に降り積もることになる。

「根性」や「努力」という言葉に憧れた時代はある。

憧れに背を押されて「苦」に立ち向かうことがなかったわけではない。

でも、すぐに心がポキっと折れてしまう。

どんどん自信がなくなるばかり。

自分は根性もなければ、努力もできない人間なんだと、次第に私の辞書からは「努力」と「根性」の文字は消えていった。

この心の弱さはどうにもならない。

どうして、自分はこんなんなんだろう、と打ちひしがれるばかりの人生だった。

自分の「気質」と「病気」を知る

しかし、自分自身が「HSP」かつ「双極性障害」であることを知った今、自分は「頑張りたい」と思っても「頑張れない」人間であることが分かった。

その事実を認めることは、非常に残念なことで、それを直視するのには時間がかかった。

しかし、これまで何かと上手くいかなかったのは「気質」や「病気」のせいだったのか…と思うと、自分を責める気持ちはだいぶ薄らいだ気はする。

もちろん、「うつ」の期間になると病的な罪悪感に悩まされることはある。

ただ、本格的に「双極性障害」の治療に入った今、それに関しても快方に向かうことを期待している。

堂々と「楽」なことを選び取る人生

HSPという「気質」と双極性障害という「病気」のゆえ、私は極端に「ストレス」に弱い人間となってしまった。

そんな私が、これからの人生をより良く生きるためには、できるだけ「楽」をして生きることが懸命である。

そんな結論に遅ればせながら至った。

今までも、実際のところは「楽」なほうを選んで来たわけだが、それには常に自責の念が伴っていたし、時々、これではいかんと「苦」を選ぼうとし、失望落胆することを繰り返してきた。

しかし、もう、そんな無駄なことに時間を費やすほどに人生は残されていない。

これからは、堂々と「楽」することを選ぼうと思う。自分の本当にしたいことをしようと思う。

「楽(らく)」というと、何か怠けるようなイメージがあったが、それはきっと間違っている。

「楽(らく)」をするとは、読んで字のごとく「楽しむ」ことである。

すなわち「楽(らく)」な人生を選ぶとは、積極的に人生を楽しもうとする姿勢である。

そんなふうに思うことにした。

だから、これからの人生、自分が「苦」にすることではなく「楽」に出来ることばかりをしていこうと思う。

ということで、とりあえず、除草剤が欲しいなと…

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