心の病を人生を豊かにするためのこやしとしたい旨。

朝から軽い疲労感。

目は片目だけ二重。

メガネのフレームが太ければ誤魔化せるかも、と思うが、今のメガネのフレームは細い。

なかなか残念な仕上がりになっている。

しかし、そんなことを気にする年でもなし、そんなことを気にする余裕もなし。

そう、私は日常を送るだけでもせいいっぱいな双極性障害なおじさんである。

軽い頭痛もお供に、半分仕事(仕入)、半分リハビリのつもりで、妻の運転する車で、隣市へ向かうおじさんである。

目の調子は相変わらず悪い。

体調が悪いと複視がひどくなり、車の運転もままならない。

複視の原因を探るべく、いくつか病院を渡り歩くも、今のところ、原因不明。

心の目も、体の目も焦点定まらずか…

そんなことを思いながら、助手席の窓から散りゆく桜の木々を見つめる。

「うつ」のせい、もしくは「薬」のせいだろうか、動かない心。

桜の美しさと儚さに全身がザワめいていた自分はどこに行ったのか?

今となっては、それが本当の自分だったかどうかも疑わしい。

それは「躁」という病が作り出した虚像かもしれない。

本当の自分って、どんなだったっけ?

躁うつのサイクルに翻弄されて、もはや、本当の自分を見失ってしまった。

いや、もともと、本当の自分なんてなかったのかもしれない…

まあ、そんなことを考えても仕方がない…

今は「今日」という日に立ち現れる儚い自分と向き合うだけ。

それが、昨日の自分と別人だったとしても、それもまた自分として、受け入れるだけ。

変わらない自分もいる。

地元のうどん屋のフニャフニャ麺が嫌いな自分。

そして、本当にこんなんが好きなの?と毎回、妻に尋ねてしまう自分。

露天風呂が大好きな自分。

そして、妻が大好きな自分。

そして、フニャフニャ男な自分が嫌いな自分。

日々、変わる自分。

日々、変わらない自分。

全て、自分。

そんな自分と共にこれからも一緒に歩く人生。

自分との歩調を合わせるのが下手クソな自分だけど。

倒れても、倒れても、また立ち上がろうと思う。

自分だけで起き上がるのが苦しい時は、プライドを捨てて、誰かに、何かに頼ろうと思う。

心の病は決して人生を貧しくするものではなく、人生をより豊かにしてくれるものと信じて…

愛する妻を道連れに。

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