【双極性障害】クリスチャンであっても精神に異常を感じたら早めの精神科受診をオススメする。

私が自分自身の躁うつのサイクルを自覚したのは10年以上前になる。

しかし、それが双極性障害かもしれないと思いつつも、実際に精神科を受診したのは、つい2週間前のこと。

精神科に行ったほうがいいかな?との思いが脳裏をよぎってから、受診するまでに10年以上かかってしまった。

異常を感じた時に、すぐに精神科を受診していれば、これまでの10年、完治はなくとも、きっと、もっと質の高い生活を送れたことだろう。

正直、かなり後悔している。

どうして、精神科を受診するまでに、そんなに時間がかかってしまったのか。

もちろん、そもそもが敷居が高く感じられる精神科。

受診までに時間がかかってもそれほど不思議には思われないかもしれない。

ただ、私の場合はそもそもの敷居の高さに加え、誤った意味でのクリスチャンとしての意識が、その敷居をさらに高くし、精神科受診までの期間を長引かせていた。

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私が精神科を受診するのが、遅くなってしまった理由

私はいわゆるキリスト教原理主義と呼ばれるキリスト教のグループの中で生まれ育った。

そのこと自体に不満はない。

むしろ、感謝している。

聖書を創造主なる神の言葉として素直に信じ、この世にあって敬虔に生きようとする信仰を継承できたことは誇りに思う。

ただ、これは私の偏見かもしれないが、原理主義的キリスト教会にはクリスチャンでありながら精神病になってしまうと信仰が足りないと思われてしまうような、そんな雰囲気をなんとなく感じる。

たとえ「うつ」になったとしても、信仰によって「癒し」を体験しなければクリスチャンとしてのメンツが立たないような、そんな雰囲気である。

もしかすると、これは私が勝手に感じてしまっているだけかもしれない。

原理主義的立場に立つ教会であっても精神病に関して理解のある教会もきっとあるだろう。

クリスチャンでも迷わず精神科を受診することをオススメする

ただ、私と同じように、精神的不調を覚えているにも関わらず、クリスチャンであるがゆえに、精神科や心療内科などの受診をためらっている方がおられるなら、是非、今すぐにでも受診して頂きたい。

身体の病気と同じく、精神の病気も早期発見、早期治療が大事だ。

クリスチャンであっても、風邪を引くこともあれば、癌になることだってある。

同じく、クリスチャンであっても、双極性障害(躁うつ病)になることもあるだろうし、統合失調症になる可能性だってある。

クリスチャンだって風邪を引いたら、薬を飲むだろう。

癌になったら病院で入院治療を受けるだろう。

風邪を引いたからといって、キリスト教における「救い」に預かっていないわけではない。

癌になったからと言って不信仰なわけでもない。

同様に「双極性障害(躁うつ病)」になったからと言って、その人が「救われていない」わけではない。

精神病の治療のために薬の力を借りることも、入院治療を受けることも決して不信仰ではない。

にも関わらず、精神の病に関しては病院や薬の世話になることがクリスチャンとしてふさわしくないという雰囲気がある(ような気がする)。

そのため、適切な治療を受けさえすれば、良くなるであろう精神障害が放置され、悪化の一途をたどっている人も少なくない(のでは?)。

私は個人的にそんな人たちを数名知っている。

そうであるならば、それは果たして神の御心だろうか?と思わざるを得ない。

キリストによる「癒し」と医者による「治療」は両立する

私は決して今日における「癒し」や「奇跡」を否定するつもりはない。

私は神による超自然的「癒し」を信じるし、それを求めている。

しかし、それは病院にかかることを否定するものではない。

極端なところでは精神の病だけではなく、肉体の病で医者にかかることさえ、不信仰であると断罪する教会もある。

私はそのような教会が健全な信仰に立っているとは思えない。

キリストも病人には医者が必要であることを認めておられる(マタイ9:12)。

であるから、私はキリストによる癒しを信じ、かつ、肉体の病に関しても、精神の病に関しても、医者の必要性を肯定する立場を堅持したい。

結局、医者にかかろうが、かかるまいが、最終的に病気の癒しは「治癒力」にかかっていると思う。

そして、その「治癒力」は神が与え給うものである。

ということで、私自身、全てが神の御手の中にあることを信じ、神に祈り、かつ、医者や薬の力を借りつつ、自らの双極性障害と向き合って行きたいと思っている。

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