双極性障害。オープンにすべきか、クローズドにすべきか…

双極性障害(躁うつ病)を患っている人間にとって、それを社会的にオープンにすべきか、もしくはクローズドにすべきか、悩むところである。

オープンにしたほうがいいのか?それともクローズドにしていたほうがいいのか?

それに対する答えは一つ。

“人それぞれ”ヽ(´o`;

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環境や性格、状況に応じて

人それぞれ”だなんて、身もふたもない言い方かもしれない。

しかし、同じ双極性障害を患っていても、それぞれが置かれている環境、性格、状況は異なる。

オープンとクローズドのどちらがいいかなんて一概には言えない。

私自身について言えば、先ごろまでオープンにするほうがいいのでは?と思っていた。

双極性障害に向き合うとはそういうことでは?

そのほうが、気分的にも楽になれるんじゃないか?と簡単に考えていた。

しかし、今は症状をコントロールできるなら、クローズドのほうがいいかもしれない…と思うようになっている。

私の環境ではクローズドのほうがメリットが?

色々考えたが、今の時点では、双極性障害についてオープンにすると自分の環境ではデメリットが多いのではと思うのだ。

身近で10年以上、私の躁うつのサイクルを目の当たりにして来た妻でさえ、双極性障害について十分には理解できない。

それが他人となればなおさらのことだ。

オープンにすることで、誤解されることは目に見えている。

それで、差別の対象になったり、偏見の目にさらされた時、今の私の状態ではそれに耐える自信はない。

よっぽどのことがない限り、健常者にあえて双極性障害であることを明かす必要はないだろう。

もちろん同病者との出会いがあれば、その限りではないが…

今までだって結果的にクローズドだったし…

そもそも精神科を受診するまでに10年以上かかり、その間、躁うつの症状に悩まされつつも、なんとか生きて来れた。

もちろん、正式に診断されてないので「双極性障害」であることを公表することもなかった(親しい人には冗談交じりに躁うつの気があるんですよ〜、みたいなことは言っていたが)。

双極性障害と正式に診断されたからと言って、あえてオープンにする必要もないかな?(リアルでは)と思っている。

最後に

とはいえ、今年になって双極性障害の症状が悪化し、現在、本格的な治療が始まったばかり。

今は心身の回復に焦点を当てる時期で、これからまたイロイロと考えるなかで、考えが変わる可能性もある。

とにかく、あわてず、急がず、じっくりと判断していこう。

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HSP +双極性障害 +オジさん=私、のガス抜き。

こんな年になって、こんなことを言うのは、正直なところ、とても恥ずかしい。

しかし、あえて言おうと思う。

私は、とても傷つきやすい。

(ああ、恥ずかしい…)

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HSPは大人になってもHSP

子供の頃から繊細で、ちょっとしたことでも、すぐに泣いてしまう子だった。

大人になったら自然に図太くなるだろう、なんて考えていたけれども、残念ながら、そんなことはつゆだになく。

さすがに、人前でビービーないたり、シクシク泣いたりはしないけれども、心の中ではしょっちゅう泣いている。

そんな、情けないオジさん。

それが私である。

HSPはいつまで経ってもHSP。

容赦なくつきつけられる現実。

生まれながらの性質なので、大人になったからと言って、それが変わるわけではない。

HSP +双極性障害=厄介

加えての双極性障害。

「うつ」の時期は、さらに傷つき易さに拍車がかかり、かつ、回復に時間がかかる。

なぜ自分はこんな軟弱な気質を持って生まれ、そのせいかどうかは分からないが、双極性障害という精神病を抱えることになったのか。

HSPにしろ双極性障害にしろ、大部分の人には理解しがたい気質や病気。

単なる内気で臆病な人間とみなされたり、気分屋と見なされ、病気であることさえ認めてもらえないこともある。

誰にも分かってもらえない寂しさ。

生きづらい世の中で、生きづらい気質と病気を抱えて生きるのは本当に辛い。

辛いのはあなただけではない、みんな、それぞれ辛いんだ、というご意見もあろう。

もちろん、それぞれに生きづらさを抱えておられるのは知っている。

では、そのそれぞれが毎日のように希死念慮に悩まされ、もし、これから解放されるなら、覚醒剤にでも手を出したい、と思うほど苦悩しているだろう?

そんな人は少ないのではないだろうか?

と、こんなことを言ってみても、先に言ったとおり、ほとんどの人に理解してもらえないので、これ以上は言うまい。

クローズドがいいのか?

HSPにしろ双極性障害にしろ、それはお前の思い込みだ、甘えだ。

お前の信仰が足りないんだ。

そんなふうに言われたり、思われたりするのがオチのように思われる。

もう自分の気質や精神障害については誰にも言わないようにしたほうがいいのだろうか?

そうすれば、誰も煩わせることがないし、自分も傷つくことがない。

誰にも心を開かないで、人知れず苦悩するのが最善なのかもしれない…

分かってくれない人とは物理的距離や心理的な距離を置くべきなのだろう。

思考錯誤あるのみ

結局、人間は孤独な存在である。

ひとりで来て、ひとりで逝く。

お互い、わかり合うことはできない。

ただ、それだけのこと…

…と、ボヤキはこれぐらいにしておこう。

いくらボヤいたところで、私の病気が治るわけでも、気質が変わるわけでもない。

なんとか、自分の気質、そして、病気と折り合いをつけながら生きて行くしかない。

今、このブログは、それを模索することをメインとして書いている。

こうして、時々、いや、しょっちゅう?ガス抜きに用いることも意味のないことではない。

自分の心の動きを観察する上で役に立つと思っている。

これから認知の歪みを強制していくためにも、参考資料となるだろう。

試行錯誤あるのみである。

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