すぐに人生の軌道を外してしまう私。そんな私を軌道修正をしてくれる旧約聖書のことばを3つ紹介しようと思う。

私は若い頃から、何かと悩みがちな人間。

すぐに思考の迷宮に迷い込み、そこから出れなくなってしまうことが、しばしばある。

自分で言うのもなんだが、もともと心病みやすい性格なんだろうと思う(現在、双極性障害…^^;)。

しかし、そんな思考の迷路に迷い、かつ、泥沼にハマってしまう時、その度に私を救い出してくれるものがある。

それが、聖書のことばだ。

まあ、私はバカなので、またすぐに迷って、ハマって、身動きとれなくなって、また救い出されての繰り返しなのではあるが、それでも、ここまで生きて来られたのは聖書のおかげ、信仰のおかげ。

そう思っている。

ので、今回は、特に私がお世話になっている聖書のことばを旧約聖書から3つ紹介したい。

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人生の目的について

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節 )[新改訳3版)

創造主なる神に対する畏敬の念を抱き、神の教え(命令)に従って生きることこそ、人間のなすべきこと。人間の生きる目的。人生の全て。聖書はそう教える。

人間によって作られた存在は全て、人間によって目的と意味とを与えられる。

同様に神によって造られた存在は全て、神によって目的と意味とを与えられる。

人間は人間によって作られた存在ではない。

子供を「作る」という表現はあるが、実際に人間がロボットを作るようにして人間を「作る」わけではない。

人間の知恵と力で、何もないところから、人間を作ることはできない。

人間を作ることのできる存在が、人間よりもはるかに知恵と力に優れた存在であるのは明らかである。

それこそが、聖書が啓示する天地万物の創造主なる神である。

人間を含めた万物はこの「神(God)」によって造られ、存在させられている。

であるから、自分の生きる意味や目的を神に問うことはごくごく自然なこと。

聖書をとおして語る神は、ご自身の命令を守ることこそ、人間の生きる目的であると教えている。

そして、その数々の命令(教え)の核は「互いに愛し合え」である。

神の愛を知り、神の愛に生きる時に、私たちは充実した人生を送ることができる。

そのことを期待しつつ生きる者でありたい。

人生の幸福

天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。(詩篇73篇25節 )[新改訳3版]

「欲望」を満たすことで「幸福」になろうとしても、私たちは決して「幸福」になることはできない。

なぜなら「欲望」が満たされることは決してないからである。

食べてもまたすぐに腹が減る、飲んでもすぐに渇くのと同じである。

もちろん、私たちが生命を維持したり、社会を維持したりする上で必要な「欲」もある。

だから「欲望」の全てを否定するわけではない。

私が否定するのは「悪い欲望」はもちろんであるが、「欲」を満たすことによって「幸福」になれる、という考え方である。

地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごす(ペテロの手紙 第一 4章2節)ことの大切さがここにある。

人生を楽しむ

主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。(詩篇131篇1節)[新改訳3版]

思考の迷宮に入ってしまわないために大切なこと。

それは上記のことばにもあるように「及びもつかない大きなことに深入りしない」という姿勢であろう。

真理を追求することはとても大切なことである。

しかし、人間には限界がある。

どんなに賢い人でも、人間である以上、創造主なる神を完全に把握することなどできない。

すなわち「真理」の全体像を完全に理解することはできない。

隠されていることは、私たちの神、主のものである。(申命記 29章29節)

と記されているように、神の隠された領域に私たちは立ち入ることは出来ない。

たとえ立ち入ったとしても混乱してしまうだけだ。

「しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うため」

と上記の申命記の言葉は続く。

すなわち、私たちが、神の教えに従うための、つまり、神の愛を知り、神の愛に生きるために必要な真理は全て明らかにされている。

そのことを幼子のような素直な心で信じ、神に与えられた今日という日に、神の愛に生きるものでありたい。

人生を理解するのではなく、楽しむものでありたい。

最後に

とまあ、なんか、偉そうに書いてみたが、私自身、まだまだ聖書が求める規準には程遠い。

理想は理想、現実は現実だよ、と割り切って生きることもできるが、私はそうはしたくない。

理想は実現するためにあると信じる。

生きている間に、1ミリしかそこに近づけなかったとしても、理想からは目を離したくないし、そこに近づく努力はしたい。

とりあえずは思考の迷宮に入らないように十分気をつけようと思う。

いい加減学ばねば…だ(*´ω`*)

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