努力しなくても継続はできるんじゃないかな?って話し。

「才能」があっても「努力」しなければその才能は開花しない。

そのとおりだと思う。

しかし、その「努力(を継続する能力)」もまた一つの「才能」だと思う。

多くの人が努力したいと思っても、努力できない。

では、努力する才能がない人は「継続」できないんだろうか?

というと、そうでもないと思う。

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努力しないで「継続」するには?

いわゆる「才能」を持ち、その上で「努力」するという才能があり、その上で「運」に恵まれた人が、第一線で華々しく活躍し、また活躍し続ける。

だから、だれもが「努力」することの大切さを知っている。

だから「努力」する人を称賛するし、尊敬する。

しかし、それが分かっていても、そうしたいと思っていても、それがなかなかできない現実。

私もまた、そんな現実の壁の前で立ちすくみ続けて来た。

私にはいわゆる「才能」もないし、「努力(を継続)」するという才能もない。

何をやらせても三日坊主。

これまで40年以上生きてきたが、すべてにおいて中途半端。

なんとも情けない限り。

そんな男に「運」が回って来るはずもなく、回ってきたのは「双極性障害」という現実。

しかし、ブログだけはなんとか続いている。

それは基本的に「書く」ことが「楽しい」から。

自らの思考を文章として、垂れ流すことが「気持ちいい」から。

「楽しい」ことは「楽(らく)」に思える。

気持ちいいことは、言われなくてもやりたくなる。

そこに「努力」は必要ない。

周りの人から見たら努力しているように思えても、本人はただただ楽しいからやっているだけ。

「努力」という才能がなくても「楽しい」「気持ちいい」があれば人間は「継続」できる。

「継続」できれば、そこから新たな何かが生まれて来る可能性がある。

「書く」ことに依存する

そう考えると、依存症気味の人のほうが物事を「継続」することは得意かもしれない。

一度ハマってしまったら、そこからなかなか抜けられない。

それは裏を返せば、一度ハマったら嫌でも「継続」し続けられる、ということにならないだろうか?

依存症の気質を変えるよりも、依存の気質を利用して、その対象をより生産的なものに変えることはできないだろうか?

それは無理なことだろうか?

そのことを、自ら証明するため、依存体質の私は、今日から、ブログ依存症(書くほう)になる( ̄^ ̄)ゞ

って、もうなってるか。笑

「書く」ことで、人生が良い方向に向かうかもよ

「書く」ことで損することは、ほとんどない。

他人を実名で誹謗中傷したりとか、法律に触れるようなことなど、よっぽどのことをしなければ、デメリットなんて見当たらない。

昨日も書いたと思うが、私の場合は書くことで思考もまとまり、精神も安定し、かつ、垂れ流しの文章でも、数年後にはお小遣い程度は稼げるようになるかもしれない(今は小遣い無し生活だお(*´-`)

だから、理想としては「書くこと」を中心にした人生を送りたい。

私には、あれもこれもは無理。

一つのこと、「書くこと」、に集中したいと思っている。

そのための環境も整えたい。

どうせなら、夫婦ふたりで暮らせる程度の稼ぎも「書くこと」で得たい。

となると、今の月3000円程度の小学生の小遣い程度のブログ収入ではまったく話にならない。笑

今のような自分の思考を垂れ流すだけの、自己満足的なブログでは全然だめだ。

世のニーズに応える記事を書く必要がある。

世のニーズに応えることを意識した文章を書くなんて、プレッシャーになるから、そんなのイヤだ、そんなの続かないみたいなことを昨日は言っていたけど…

書いているうちに、ちょっと頑張ってみるかな…という気になってきた。

ということで、とりあえず、垂れ流しであっても、それが直接「稼ぎ」に繋がらなかったとしても、いい方向に気持ちが変わることもある。

やっぱり「書くこと」は良いなと、改めて思った次第である。

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