苦手なこと、嫌いなことに時間を費やすのはやめにする。得意なこと、好きなことを追求する。

遅くとも四十を過ぎれば、自分が何が得意で、何が不得意か、ということは分かって来るだろう。

得意不得意は分からなかったとしても、自分が何が好きで、何が嫌いかは、明確になるのではないだろうか?

それさえも明確でなく、なんとなく中年期、老年期を過ごしているなら、勿体ない。

そんな状態では、残された人生を自分の得意なことや、好きなことに費やすことは出来ないだろう。

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建設的、生産的、趣味・特技を磨く

もちろん、好きなことと言っても酒だとか、タバコだとか、ギャンブルだとか、そんなモノじゃないことは言わずともお分かりだろう。

健康や経済、また人間関係を破壊するような物事に時間を費やすことは人生のムダ以外の何物でもない。

より建設的、より生産的、そんな好きなこと、また得意なことに時間を費やしていきたい。

最近、とみにそう思うようになった。

今更苦手なことを克服しようと悪戦苦闘するより、「好き」に「没頭」し「得意」を伸ばして行くほうが得策。

それが社会的貢献につながれば、なお良い。

そうでなかったとしても、自分が「好き」なことをして、生き生きと生きていれば、それが周囲の人にも良い影響を及ぼすのではないだろうか?

とりあえず読書生活の変革をしよう

…と、偉そうに語っているが、私もまだまだ、そのような理想とする生き方はできていない。

例えば、私の好きなことの一つに「読書」がある。

しかし、ここしばらく、その「読書」を楽しめていない。

読書をしていないわけではないが、それは、ほぼほぼ仕事のための読書。

純粋に文章や物語を楽しみながら本を読んだのはいつのことだろう。

思い出せないぐらい昔かもしれない。

なぜ、そうなってしまったのか?

そう考えると、いつの頃からか「物語」を読んでも、心に焦りを感じようになっているような気がする。

きっと「物語」を読んでも、仕事の足しにならん、という思いが、その焦りを生み出すのだろうとも思う。

ただ、本当にそれでいいのだろうか?

それって心に余裕がない証拠では?

その心の余裕のなさが、精神に悪い影響を与えているのでは?

と、そんなふうに思わなくもない。

ということで、今、そういった意味でも生活を見直したほうがいいのかな?と逡巡している。

今度、図書館に行った時には、何か小説でも借りてくるか。

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