キリスト教には死後に救われるチャンスはないのか?クリスチャンとしての個人的見解。

キリスト教では、生きている間に、イエスを救い主(キリスト)として受け入れるか否かで、天国行きか、地獄行きかが決定されると教えられる。

なぜ、イエスを信じる者だけが天国に入ることができるとされるのか?

それを理解するためには、人間は生れながらにして「罪人」である、というキリスト教の前提を知る必要がある。

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罪人はそのままでは天国に入れない

「罪」を持ったままでは、完全なる義の世界である「天国」に入ることは出来ない。

その「罪」を除きさるためには、贖いのための「血」が必要であり、それはイエスが十字架で流された「血」である。

そして、その「血」はイエスを救い主として受け入れ、イエスを主として従う人々に適用される。

(なぜ「血」に「罪」を除く効力があるのか?ということについては、また別の機会に…)

ゆえにイエスを救い主として信じるものだけが、天国に入ることを許される。

とまあ、これがキリスト教において「救われる」とはどのようなことなのか、また「救われる」ためには何が必要なのか、ということに関する一番、簡単な説明である。

実際はキリスト教における「救い」にはもっと深みと厚みがあるのだが、初心者にはこの説明でも、もしかすると、まだ難しく感じられるかもしれない。

さて、そのことを踏まえた上で、ではイエスを救い主として信じるチャンスは「死後」にもあるのか?ということについて、改めて言及したい。

セカンドチャンス論

伝統的な教会の見解では冒頭にも記したとおり「救われる」チャンスは生きている間だけ、死後にそのチャンスはない、という考え方が多数を占める。

しかし、最近では死後にも救いのチャンスはあると考える神学者、聖職者も少しずつ増えて来ているようようだ。

そのようなキリスト教における「死後にも救いの可能性がある」という考え方は「セカンドチャンス論」と呼ばれる。

【書籍】聖書的セカンドチャンス論

「セカンドチャンス論」はある意味、とても魅力的な考え方だ。

その論は次のような疑問を簡単に解決する。

  • イエス以前の人々の「救い」はどうなるの?
  • イエス以後でも「福音」をまともに聞くことの出来なかった人の「救い」はどうなるの?
  • 私はクリスチャンになったけど、クリスチャンにならなくて死んだ、親兄弟、友人知人はどうなるの?

そんな素朴、かつ、切実な疑問に、簡潔、かつ、誠実に答えることができる。

大丈夫ですよ。安心してください。「死後」にも救いのチャンスがあるんですよ。

クリスチャンとしては、そのような答えが許されるなら、本当にありがたい限りである。

聖書的か否か、未だ未解決

セカンドチャンスが真理であるなら、私もその論を受け入れたい。

ただ、聖書的に正しいのかどうか?というと、魅力は感じつつも、判断がつきかねる。

仮にセカンドチャンス論が正しいとすると、こんな心配も生じる。

なんだ、「死後」にも救いがあるんなら、別に今、イエスを救い主として信じる必要はないんじゃない?

そんなふうに思う人が出てこないか?という心配である。

これは取り越し苦労的な心配かもしれない。

論が正しくても、その論を曲解して変なことを言う人たちは必ずいる。

ともかく、セカンドチャンス論が一般的になればなったで、考えるべきことが多々生じて来るのだろう。

まとめ

さて、最後にキリスト教において死後に救いはあるのか?という疑問に対する答えを簡単にまとめたい。

現時点では、キリスト教では「死後」の救いはないとの考えが多数を占める。

【書籍】増補改訂版「セカンドチャンス」は本当にあるのか (21世紀ブックレット)

しかし、「死後」にも救われる機会はあるとの立場をとるクリスチャンも増えて来ている。

どっちやねん( ´θ`)ノ

と、ツッコミを入れたくなる結論だ。

死後の救いはあるかもしれないし、ないかもしれない、という結論なんだから。笑

ただ、聖書がハッキリと語っていないことをハッキリと語ることは私には出来ない。

余談

同じキリスト教で、同じ聖書を使用していて、どうして真逆の見解になるの?と不思議に思われる方もおられるだろう。

しかし、これはキリスト教の世界では別段、不思議なことでもなんでもなく、普通によくあること。

正統的教会は、その本質的なところでは一致した見解を持っているが、枝葉は実に多様なのだ。

特に「終末」や「死後」については、聖書はそれほど多くは語っていない。

様々な見解が生じる余地があるし、また様々な見解があって良いと思う。

ただ、未熟なクリスチャンは、その枝葉の違いにとらわれ、幹でつながっていることを忘れ、自分たちの見解こそが正しいと、クリスチャン同志でいがみあってしまう。

それはとても残念なことだ。

キリスト教の教えで最も大事なのは「互いに愛し合うこと」なのにね。

ま、天国に行ったら、そんな人たちも、いやあ、あの時はどーも、すみませんでした〜。

本質とは関係ない、つまらないことでねぇ。

ほんとに…ねぇ(´ω`)

となるんだろうけどね。

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