【聖書通読】「失楽園物語」「カインとアベルの物語」(創世記3~4章)

enpi-1317747_640

本日は創世記3~4章を朗読(文語訳)。

「失楽園物語」と「カインとアベルの物語」がメインであるが、個人的には4章26節後半の「そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた新改訳3版)」の一節が引っかかる。

新改訳2017では「そのころ、人々は主の名を呼ぶことを始めた」と訳されいている。

文語訳では「此時人々エホバの名を呼ぶことをはじめたり」。

新改訳2017のほうが文語訳の訳に近い。

新改訳3版は解釈の入った意訳であったので、それを原文に近い状態に戻したのだろうか?

それはともかくとして、「主の名を呼ぶ」ということが、儀式としての「礼拝」の始まりを意味するのか、また「主の名」とはどのような「名」だったのか。

「新聖書注解」を見ても、そこらへんのところの説明がちょっとボヤッとしてて、よく分からなかった。

研究課題である。

広告

失楽園物語(創世記3章)

アダムとエバのエデンの園での生活がどれくらいの期間であったのか。

それについては聖書は明記していない。

もし、アダムの年齢をアダムが生まれた時から数え始めたとしたら、その期間は千年以内になるであろう。

「死ぬべき存在」となりエデンの園を追放されたから年齢を数え始めたとするならば、エデンの園で過ごした期間は千年に以上なのかもしれない。

しかし、それについて触れられていないということは、この物語が伝えようとしているメッセージにおいて、それは大きな問題ではなかったということであろう。

個人的には「失楽園物語」は「人間の死」の原因について、私たちに教えることを目的とする物語であると考えている。

「死」の原因は、表面的に見れば「創造主なる神の命令に背いてしまった」こととして描かれている。

神の意志よりも、人間である自分の意志を優先してしまうと滅びを招く、という教訓につながる。

簡単に言えば、神から分離したがゆえに、人間は滅ぶべき存在となったということ。

であるからして、神と再び結合すれば、私たちは永遠のいのちを持つ存在となる。

そのための道がイエスである、という新約聖書(キリスト教)の教えにつながる。

カインとアベルの物語(創世記4章)

世界で最初の殺人が記録されている。

神への捧げ物のことで、カインが弟であるアベルに理不尽な恨みを抱き、殺してしまう。

いつの時代も悪人が義人を迫害する一つの例として、この出来事が聖書中で取り上げられることもあったと記憶している。

カインの捧げ物が神に受け入れられなかった理由はなんだったのか?

その理由もまた明記されていないが、おそらく初物ではなかったからではなかろうか?

血を流す生贄としての捧げ物ではなかったから、という考えも聞いたことがあるが、個人的にはそうでもないように思う。

広告

シェアする

広告