【探偵が早すぎる】「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」とは?

最近、妻に付き合って?「探偵が早すぎる」という連続テレビドラマを見ていて、今日は第2話目だった。

このドラマでは、クリスチャン的に

お(゜o゜

と、思うセリフがある。

それは、千曲川光(滝藤賢一)が犯人を追い詰める場面での決めゼリフ。

「神のものは神に!!カエサルのものはカエサルに!!」

このセリフ、何のことかよく分からない人も多いのではないだろうか?

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「神のものは神に」の出典は聖書

実はこれ、聖書の言葉。

正確にはイエス・キリストの言葉である。

新約聖書に収められている4つの福音書中、3つの福音書に記録されている有名な言葉だ。

その中からマタイの福音書22章の「神のものは神に」が含まれる箇所を引用する。

彼らは、「カイザル(カエサル)のです」と言った。そこでイエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21)

上記の引用文の「彼ら」というのは当時、ユダヤ教の「パリサイ派」というグループに属していた人々のことである。

彼らはイエスにこんな質問をした。

「税金をカイザルに納めるのは聖書の教え(旧約聖書※律法)にかなっているでしょうか?」

カイザル(カエサル、シーザーとも表記)とはローマ皇帝のこと。

つまり、彼らは「ローマ帝国に税金を納めることはユダヤ人としてふさわしいのか?」とイエスに問うたのである。

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悪魔の二択

当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にあった。

しかし、敵国であるローマ帝国に支配され、彼らに税金を納めなければならない状況はユダヤ人にとっては恥辱以外の何ものでもなかった。

ゆえに、ユダヤ人であるにも関わらずローマ帝国に納める税金の取り立てをしていた「取税人(しゅぜいにん)」は同胞であるユダヤ人に非常に嫌われていた。

そのような政治的、社会的状況では、パリサイ派の「ローマに税を納めるべきか否か」という質問には「Yes」と答えるも「No」と答えるもイエスにとっては不利になるのは明らかだった。

「Yes」と答えれば、取税人のように裏切り者扱いされ、イエスの評判は失墜する。

かといって「No」と答えればローマ帝国への反逆者として訴えられる。

パリサイ派の人々は正しい答えが欲しくて質問したわけではなかった。

この質問をすることで、イエスを陥れることができると目論んでいたのだ。

当時、パリサイ派の人々にとって自分たちの奉ずる教えや生き方を批判するイエスは目障りな存在でしかなかったのだ。

イエスの3つめの選択

それに対するイエスの答えがテレビドラマの「探偵が早すぎる」で千曲川光(滝藤賢一)が叫んだ言葉である。

ちなみに、ドラマのセリフでは、「神のものは神に、カエサル(カイザル)のものはカエサルに」となっていたが、実際は「カエサル(カイザル)のものはカエサルに、神のものは神に」と語順が逆。

あえて、そうしたのかどうかは分からないが、パリサイ派の人々との会話の流れとしては「カエサルのものはカエサルに」が先のほうが自然ではある。

「神のものは神に・・・」

という答えをする前に、イエスはパリサイ派の人に言われた。

「税金を納めるための貨幣を見せなさい」

パリサイ派の人が貨幣を持ってくると

「誰の肖像と誰の銘が刻印されてるか?」

と尋ねられた。

「カエサル(ローマ皇帝)のです」

と彼らが答えると

「では、カエサルのものはカエサルに(納税)、そして、神のものは神に返しなさい(献金)」

イエスは飄々と、そう答えられたのであった。

その答えにイエスを陥れようとしたパリサイ派の人々は二の句を継ぐことができず、スゴスゴと退散せざるを得なくなった。

というのが「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」という言葉の出典となった出来事のあらましである。

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後記

「ソロモンの裁き」を彷彿とさせる、パリサイ派とのやりとり。

さすが、我らのイエス・キリストと思えるエピソードである。

こうして書いていて改めて感動した。笑

それはそれとして、「探偵が早すぎる」の次回予告を見ると、「カエサルのものはカエサルに」の決めゼリフ以外にも聖書の言葉を思わせるフレーズがチラッっと出て来ていた。

もしかすると、一話一話ごとに意識的に聖書の言葉を入れているのだろうか?

とするならば、これは原作にも使用されていたのだろうか?それとも、テレビドラマの脚本のみで出てくるセリフなのだろうか?

ただ非常に印象的な言葉なので、これが原作に登場しないフレーズだとすれば、なかなか思い切ったことをしたことになる。

現時点ではそこらへんのところは分からないが、もし毎回なんらかの形で聖書の言葉が出てくるなら、クリスチャンとしてはドラマを二重に楽しめるなと思っている。

これからのドラマの展開も含め、そこらへんのところも注目していきたい。

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