アリアナ・グランデに不適切な行為をしたとされる牧師を擁護するわけではないが・・・

アリアナ・グランデに不適切な行為をしたとして、非難されている米の黒人牧師がいる。

確かにニュース記事に掲載されている下のような写真を見ると牧師が故意にアリアナ・グランデの胸を触り、いやらしい笑みを浮かべているようにも見えなくもない。

それに対してアリアナが戸惑いや不快感を示しているように見えなくもない。

しかし、実際のその時の動画を見ると印象は変わる。

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メディアの悪意ある報道

下の動画を見れば分かるが上の写真はアリアナ・グランデが笑いながら首を振っている一瞬の場面。

牧師の手の位置を気にして戸惑いや不快感をあらわしての振る舞いではない。

確かに、歌い終わってから牧師に講壇のところに連れて行かれる時は戸惑っている様子はあったが、その後、壇上で牧師に不快感を現している様子はない。

なので、ニュース記事に掲載されている写真には少なかれ悪意を感じる(まあ、ニュース記事に掲載される写真なんてそんなものだろうが・・・)

それに、牧師が大勢の人々が見ている前で故意にそんなことをしたとは考えにくい。

おそらく、アリアナ・グランデが小柄(153cm)であり、牧師が比較的大柄であったがゆえに手の位置がちょうど胸のあたりに来たのであろう。

ただ、男女間のボディタッチを含むスキンシップが普通に行われる文化の中でも誤解を招く行為をしてしまったことは確かである(批判の中にはアリアナ・グランデのファンのやっかみもあったかもしれないが)。

聖職者は注意しすぎるぐらいがちょうどいい

神父や牧師は聖職者という立場にあるので、そのようなことに関しては人以上に気をつけなければならない立場にある。

特に今の時代は一般社会においてもセクハラやパワハラなどのハラスメントに関して敏感である。

また、カトリックにおいてもこれまでに聖職者による性的な暴行が多数あったことが明るみになって来ている。

だから、聖職者は今まで以上に注意を払わなればならないことは当然のこと。

その点において、今回、その言動を非難されている黒人牧師は甘かったと言わざるを得ない。

私でさえ、ひとりのクリスチャンとしてその点においては普通の人以上に注意を払っているつもりである。

聖書にはこんな言葉が記されいる。

あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。(コリント人への手紙第一7章1節)

ということで、私は妻以外の女性に触れることはない。(※命に関わるなどの緊急事態においては別として)

だから、教会では時に病にある人のためにメンバーで按手(祈られる人に手を置くこと)して祈ることがあるが、相手が女性の場合は直接は触れない。

また、教会などの公の場以外で女性と話すこともしない。

たとえば比較的最近の例では、同窓会関係ではからずも同級生の女性からLINEで相談を受けたことがあったが、そのことについてはすぐに妻に話した上で、同級生の女性からの相談を受けることもやんわりと断った。

せっかく相談して来てくれているのに、それを断るのは非情に思われるかもしれないが、やはり男性は男性に、女性は女性に相談するほうが、間違いが起こることはないだろう。

人間は弱いことを忘れない

人間である以上、私たちは弱い存在である。

クリスチャンであろうと、牧師であろうと神父であろうと油断していたら間違いを犯す可能性は大いにある。

聞いた話しでは、女性を半径3メートル以内には入らせないというクリスチャンがいるという。

だから、女性から何か物を受け取る時には、それをいったん机の上などに置いてもらい、女性にそこから離れてもらった上で、それを取りに行くらしい。

もちろん、そこまでする必要はないとは思うが、それぐらいの気持ちでいたほうが、あらぬ誤解を受けることにはならないだろう。

とにかく、今の時代、特に性的なことに関しては注意して注意しすぎることはないだろう。

繰り返しになるが、神父や牧師などの聖職者は人一倍そのようなことに注意すべきであるし、その言動に責任を持つべき。

悪意ある人から見られても大丈夫なような言動に努めるべきである。

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