「祈り」についてちょっと考えてみた

人間の人間たるゆえん。

それは「宗教心」にある(と私は思っている)。

テレビも無ェ♪ラジオも無ェ♪クルマもそれほど走って無ェ♪

どころではなく

家も無ェ♪服も無ェ♪グルメはイモムシ半端ねェ♪

みたいな未開の地でも、そこには必ず「宗教」がある。

「人間は癒しがたいほどの宗教的存在である」

誰が言ったかは知らないが、その言葉にさもあらん、と深く納得するのは私だけではないはず。

普段は無宗教や無神論を標榜し、宗教には無関心だったり、軽蔑している人であっても、たぶん自分の中にある「祈り心」には気づいているはず(だと思う)。

その「祈り心」が満たされること。

人が人として生きる上で、それは大切なことなんじゃないかな?

そう思っている。

幸い、私はクリスチャンホームで育ったので「祈り」は日常だった。

そして、今もそれは日常である。

自分ではどうしようもない困難の中で、祈ることができる。

これは自分にとっては大きな助けになっている。

祈る対象が明確であることも含めて。

神に祈るなんて弱い人間のすることだ、と考える人も少なくない。

実際、私自身はとても弱い人間だと自覚している。

ただ、「神に祈ること」は人間としては自然な姿なのではないかな?とも思う。

そもそも人間はそのように造られているんじゃないかな?と思うのだ。

とか、なんとか言いつつ、最近また「祈りの生活」が希薄になっている。

ので、自戒の意を込めて「祈り」について思うところを少し書いてみた。

実際、「祈り」の生活が充実している時と、そうでない時では精神的にもかなり違うような気がする。

ただ、まだまだ「祈り」に対する私の理解は浅い。

いつのまにか「祈りの生活」がいい加減なものになってしまうのも、そのせいかもしれない。

キルケゴールだったか「祈りは神を変えず、祈る人を変える」という言葉を残している。

そんな濃厚な「祈り」が出来るように、これを機に今一度「祈り」に関してもっと勉強してみようかな?と思っている。

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