品格と筋肉を身につけようと思う

きっと、あなたはお育ちがよろしいのね。

先日、配達先のお上品なおばあさまにそんなふうに言われた。

え?どこが?と思ったが、

96年も生きてると人を見る目は養われるものよ、オホホホホ…

これまたお上品に笑われる。

私は特にお育ちがよろしいわけではない。

どちらかというと貧困層の家庭に育った。

そして、今現在は確実に貧困層にうごめく中年男である。

20年以上、双極性障害に振り回され、未だもって先が全く見えない人生を送っている。

今、自分に出来るのはこうしてパートで半日以下の仕事をするぐらい。

しかし、人生の大大大先輩に「お育ちがよろしいのね」と言われて悪い気はしない。

単なるお世辞かもしれないが、全く品を感じない人間にそんなことは言わないだろう。

ちょっと気を良くして、仕事から帰るとすぐ洗面所の鏡の前に立ってみた。

すっとんきょうな顔をしたおじさんがこちらを見ていた。

どこらへんにお育ちの良さを見て取ってくれたのだろう。

鏡の向こうのすっとんきょうおじさんとともに苦笑するしかない。

かのリンカーンは男は40歳を過ぎたら自分の顔に責任をもたねばならないと言ったそうな。

たしかに、人間年齢を重ねれば重ねるほど、その人の内面が外側ににじみ出てくるような気はする。

自分ではよく分からないが、そのような意味では、お世辞でも「お育ちがいいのね」と言ってもらえたので、少なくとも、悪い印象を与えるようなものは私の顔からはにじみ出てないのかな?とちょっと安心したりして。

しかし、これからどうなるかは分からない。

外側は朽ちていくばかり。

せめて内側は日々新たにされたいものである。

で、私も上品なおじいちゃんだな、って思ってもらえるようになりたい、なんて。

いや、そんなふうに思ってしまうこと自体が品がないか…

死ぬまでには、是非クリスチャンとしての品性を身に付けたいものである。

あ、あと筋肉もね。

で、筋肉モリモリのお爺さんになりたい。

ということで、私は今日から品格のある筋肉モリモリのおじいさんになることを目指して生きようと思う。

品格と筋肉の両輪だね。

それで、残された人生、どこに辿り着くかは分からないが、とにかく前に進もうか。

たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(聖書 Ⅱコリント4:16)

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