初めてのパニック発作???

夜中、1時半ごろに目が覚めた。

小腹が空いたのと、頭痛がしたのとで、寝床から這い出て、冷蔵庫にあった肉じゃがを少し口に入れ、鎮痛剤を飲んだ。

広告

これがパニック発作?

それから、すぐに寝床に戻ったのだが、急に今まで味わったことがないような不安感、恐怖感が襲ってきた。

頭痛が増し、息苦しさも加わり、大げさでなく発狂しそうになった。

これがパニック発作なのか???

1-2週間ほど「うつ」が続いているのだが、ここ数日、ぷち嫌なことが続いてて、特に前日は悲観的否定的な思い満載で床に入った。

それがいけなかったか?

ともかく、これはマジでヤバい、と思うような精神状態になり、衝動的に「死」を選んでしまいそうになってしまった。

「祈り」と「みことば」

ヤバイ、ヤバイ、どうしよう、どうしよう…となって、本当に焦ったが、こういう時こそ「祈り」だと寝室を出て、隣室でひざまづいて神に祈った。

パニック状態なので、最初は文字通り頭を抱えて神様助けてーと、ヒーヒー言ってる感じだったが、しばらくすると少しずつ心も落ち着いて来た。

それから賛美歌をBGMに聖書のことば(みことば)の一節を繰り返し宣言した。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙 4章6~7節)

「祈り」と「みことば」に費やした時間は1時間弱ほどだったろうか?

だいぶ落ち着いて来たので、嫌な汗で冷えた身体を温めるために風呂に入って、それから再び寝床に。

で、現在、賛美歌を聞きながらブログを更新してるところである。

クスリに頼り切るのもダメ

いやあ、それにしてもビックリした。

今年3月に最低の精神状態になったことで、精神科の門を叩いたわけだが、その時よりもヤバい状態に、一瞬ではあるが、陥ってしまった。

毎日、ラミクタールを服用してて躁うつの波も落ち着いていてるから、まさか、こんなことになるとは思ってもなかった。

油断大敵である。

昨晩は、先にも書いたとおり、絶望的な気分で床に入った。

とはいえ、まあ、一晩寝れば気分も回復するだろう、と思っていたのである。

しかし、今回は違った。

双極性障害に伴う不安感や焦燥感は経験していたが、それで発狂しそうな感覚を味わったのは今回が初めて。

もしかすると、パニック発作と言われる症状の一種なのかもしれない。

なんにしろ、いやいや、これは怖い。

双極性障害で精神的に追い詰められて、これは5人に1人が自死を選択するのも仕方ないよな、という苦しみを体験させられたが、今回は苦しいというよりも、ホント怖いという感じだった。

それにしても、今更ながらクリスチャンで良かったなと。

こういう時に祈ることが出来るのは本当にありがたい。

もし、それがなかったら、今回は、救急車を呼んでたかもしれないし、衝動的に包丁を胸に突き立てていたかもしれない。

二度と同じことにならないように十分に気をつけねばならない。

感謝と賛美の生活へ

そのためにも、悲観的否定的な思いを抱かない訓練が必要だなと改めて思った。

つくづく、次のダビデ王の信仰の態度に倣うものとなりたいと思わされた。

私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。(詩篇 34篇1節)

ちなみに、この詩は、まだ王ではなく将軍のひとりだったダビデが、国内で命を狙われ、国外へ逃亡し、そこで、敵国に捕らえられ、自分の命を守るために発狂したフリをした出来事の直後に謳われた。

私は発狂しそうになったけど、ダビデは発狂したフリ。笑

どちらにしろ、普通に考えたら、神に賛美を捧げられる状況ではない。

しかし、そんな中、ダビデは神を賛美することを選びとった。

どうして、自分がこんな目に…

たぶん、そんなふうにも思ったかもしれないけど、それ以上に、神が自分を愛していること、そして、神が全てを益と変えて下さることを心から信じた。

その証としての賛美。

素晴らしい。

否定的悲観的になっても、なんもいいことないもんね。

今回みたいに発狂するんじゃないか?と思うぐらいのパニックに襲われるのはもうゴメンだし、とにかく、来年は、いい意味で何も余計なのことを考えず、とにかく、神に感謝を捧げ、賛美を捧げる生活に思い切り舵をとろう。

そんなことを痛切に思わされた大晦日なのであった。

最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。(ピリピ人への手紙 3章1節)

広告

シェアする

広告