日々、小さなことに幸せを見出して、生きる。見出せなくても、生きる。

ここ数日は半日のパートタイム労働以外はほぼ横になって過ごしている。

完全に「うつ」に入ってるようだ。

それでも、半日の仕事だけはなんとかこなせてるのはラミクタール (ラモトリギン)のおかげ。

実は1週間ぐらい前に「うつ」から抜け出そうな感覚はあった。

それなのに、今、こうして鬱々となってる原因は大体分かっている。

数日前に隣市に住む父に会ったからだ。

父とは仲が悪いわけではない。

実は父を心の中で憎んでる、ということもない。

ただ、如何せん私と父では思考回路が異なりすぎる。

同じ日本語を話してても、外国人と話してるのか?と思うぐらいに意思の疎通が出来ない。

加えて、父と関わるとイロイロと面倒なことが生じて来る。

たとえば、今回は父の住宅ローン関連の書類にサインをしたりハンコを押したりするために父のところに行ったのだが、本来なら10分もかからず済む手続きが、1時間以上もかかってしまった。

父が銀行の人に余計なことを聞いたり、難癖をつけたりして、なかなか書類に関する説明や手続きに移れなかったのだ。

親子になって四十数年、万事が万事そんな調子。

父にかかると1で済むところが10にも100にもなってしまう。

なんでいちいち単純なことを複雑に、簡単なことを面倒にするのか?

不思議でならない。

とにかく効率を重視する私としては、それが大きなストレスになる。

昔は、さらにこれに加え、私の仕事のことや家庭のことにも、口出しをしてきて私の精神を消耗させてくれていた。

最近でこそ、あまり口出しはしなくなったが、それでも、父と会うとドッと疲れる。

その場では、それほど疲れを感じないが、その後、1-2週間は心身ともに調子を崩してしまうのだ。

父の不器用な愛情表現も分かるし、年齢も年齢だから健康も心配でもある。

親として尊敬する部分もある。

しかし、父が私にとっての最も大きなストレスのひとつである以上、精神的にも物理的にも距離を置くようにしている。

親子と言っても別個の人格である。

分かり合うことは難しいし、無理して分かり合う必要もないと思う。

私と息子の関係にしてもそうだ。

振り返ってみれば、双極性障害の影響もあって、息子には激昂しなくてもいいところで激昂したり、言わなくてもいいことを言って傷つけて来たと思う。

おそらく、そのこともあって、息子は私に心を閉ざしてしまっている。

それに、私も息子も関係づくりが不得手。

今は、お互い、物理的距離も心理的距離も遠く離れている。

しかし、もし、私の父が私にとって大きなストレスであるように、息子にとって、私が大きなストレスになっているなら、距離を置くのが正解だと思う。

寂しいことではあるけれども、それは仕方のないことだ。

今、私には妻だけが、唯一、人としての繋がりを持てている存在。

もっと人との繋がりを持つべきとは思うけれども、その日を過ごすだけで精一杯なので、そんな余裕はない。

こうして、布団の中で、ぶちぶちとブログに自らの思いを垂れ流すぐらいしか出来ない。

しかし、同病の人たち、また、その他精神疾病を抱えている人の中には、本当に孤独の中を過ごしている人もおられる。

私には「妻」が側に居てくれて、支えてくれているだけでも、本当にありがたいことだと思う。

それに猫たちも。

今、猫たちは両脇に1匹ずつ、そして、股の間に1匹。

私の心と体を温めてくれている。

これだけでも私は十分幸せ者だ。

あと、犬が1匹ね。

これから夜の散歩に同行する予定。

寒いし、くたびれてるし、布団から出たくないけど、行かないとね。

でも、出てしまえば今の時期は星空が綺麗で癒される。

日々の小さなことに幸せを見出して、生きる。

見出せなくても、生きる。

今は、ただそれだけに集中しよう。

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